黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官
1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
連載・失敗だらけの役人人生⑪ 元防衛事務次官・黒江哲郎
2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。
防衛省で防衛政策局次長を務めていた2011年(平成23年)6月、米軍のオスプレイに搭乗するため、米国のミラマー海兵隊基地を訪問しました。オスプレイは、回転翼機と固定翼機の両方の長所を併せ持つ先進的な輸送機ですが、開発段階で何度も大事故を起こし多くの犠牲者を出したため危険な欠陥機というイメージが定着してしまいました。
米海兵隊は、沖縄の普天間基地所属の老朽化した輸送ヘリに代えてオスプレイを導入しようと計画していました。しかし、市街地の真ん中に位置する危険な普天間基地に「未亡人製造機」と呼ばれたオスプレイが配備されるということで、強い反対運動が起きました。私の出張は、オスプレイに実際に乗って安全性を確認することが目的でした。
映画「トップ・ガン」の舞台になったミラマー基地は西海岸のカリフォルニア州サンディエゴ近傍に位置し、以前は海軍が戦闘機部隊の基地として使用していました。晴天が多くて暖かい土地というイメージがあったのですが、実際に訪れてみると乾燥していて予想よりもずっと涼しい所でした。今にして思えば、この涼しさが大敵でした。
夕刻に現地に到着し、夕食を摂った後すぐにベッドに入つたのですが、時差のせいであまり眠れず、翌朝起きると鼻と喉に違和感がありました。典型的な風邪で、鼻水を拭いながらブリーフィングを受け、オスプレイに体験搭乗しました。不安定だと指摘されていたローターのモード変換は、機内にいるとローターナセルの角度が変わったのに気づかないほどスムーズでした。
飛行を終えた後はいつもの弾丸ツアーで日本にとんぼ返りし、翌日東京で米国人と会議をし、夜の会食を終えて帰宅した頃には喉の痛みが耐え難いほどになっていました。それでいつも使っていたスプレー薬を喉の奥に吹き付けたところ、唐突に喉がふさがって呼吸が出来なくなりました。必死に咳払いや深呼吸を試みたのですが全く空気を吸い込めず、一瞬このまま死を迎えるのかという思いが頭をよぎり、パニックに襲われました。
まずは気持ちを落ち着けようと四苦八苦していると、何かの拍子に空気が肺に入ってきました。実際に呼吸できなかった時間はほんの2、3秒だったのだと思いますが、主観的にはとても長く感じました。すぐに中央病院(東京都世田谷区の自衛隊中央病院=編集部注)に直行したところ、幸い酸素は異常なく体内に取り込まれているとのことでしたが、息苦しさが去らないためその週末は病院のベッドで過ごしました。
この少し前にも、ガムを嚙んでいた時に突然喉がふさがって息が出来なくなったことがありました。誤って飲み込んだのではなく、ただ噛んでいただけなのに突然喉がふさがったのです。似たような症状が続いたので精密検査も受けましたが原因はわからず、医師からは薬物又は香料に対するアレルギーを疑われ、その後しばらくは「エピペン」を持たされました。
これは、アナフィラキシー症状が起きた時に、医師の手当てを受けるまでの間症状を緩和させるため、自分で太腿に打つ注射液です。戦争映画などで、毒ガスを吸ったりしてショック症状を起こしかけた米兵が、苦しみながら自分で太腿に打ったりするあれです。
仕事の蓄積疲労に強行軍の米国出張、寝不足に風邪、飲酒が重なったのが原因だと思いますが、この出来事以来、ガムを噛むのも喉スプレー薬を使うのも怖くなってやめました。幸いその後は呼吸困難に陥ることはなく、エピペンのお世話にもならずに済んでいるものの、今も喉の状態には気を使いながら過ごしています。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?