山口 昌子(やまぐち しょうこ) 在仏ジャーナリスト
元新聞社パリ支局長。1994年度のボーン上田記念国際記者賞受賞。著書に『大統領府から読むフランス300年史』『パリの福澤諭吉』『ココ・シャネルの真実』『ドゴールのいるフランス』『フランス人の不思議な頭の中』『原発大国フランスからの警告』『フランス流テロとの戦い方』など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
「医は仁術」という精神が希薄に?「ヒポクラテスの誓い」に忠実であれ
なぜ、日本の医療はここまでチグハグなのか。まったくのシロウト考えだが、日本で「医は仁術」という精神が希薄になっているからではないかと思えてならない。
一般的に「お医者さまはお金持ち」と見られている。「親が医師なら、子供に跡を継がせる」も多い。また、偏差値の高い子供が名門大学の医学部に進むという傾向も否めない。そもそも、本当に医師になりたくて医者になった医師が日本には何パーセントいるのか。残念なことに、こうした統計は見当たらないが、知性や仕事への情熱があることと偏差値が高いこととは別物だと思う。
知人のフランス人の外科医が、「女の子にうつつを抜かしていて、バカロレア(大学入学資格試験、通常6月実施)に落ちたが、医師にどうしてもなりたくて、バカンス中に猛勉強して秋の追試験で合格した」と言っていた。無事、パリ第5大学(医学部)を卒業して大学の付属病院の外科医になり、同大教授にもなった。
この教授が試験官を務めた医学部の学生が晴れて卒業し、医師になった式典を覗(のぞ)いたことがある。
式典が実施された大学内の一室には、ギリシャ時代の理想の医師ヒポクラテスの巨大な肖像画が掲げられていた。3人の学生が分厚い卒業論文を前に、内容を審査委員長の教授、各自の主任教授の計4人の試験官の前で約30分、説明した後、教授たちの質問に答える一種の口頭試問だ。すでに論文審査には通った後なので形式的なものだった。
3人という人数の少なさに加えて、仏の教育制度で重視されている高度な口頭試問と異なり、質問も門外漢の私でも理解できる常識的なものが含まれていたのには驚かされた。特に意外だったのが、この外科医の主任教授が学生に発した「なぜ外科医になりたいのか」の質問だった。それまで淀(よど)みなく答えていた学生が一瞬、絶句した。
後刻、教授に質問の理由を尋ねたら、「彼は頭脳明晰、極めて優秀な学生だが、外科医には向いていないと思うので、これまでも専門を変えるように忠告してきた」と。なぜ、「外科医に向いていないかといえば、「即断ができないから」という。「手術で開腹したら、予想を覆す事態が待ち構えていることがある。その時、動揺せずに即刻、正しい判断を下し、周囲にきちんと指図できないとダメだから」
この口頭試問が終わると、3人が揃って「ヒポクラテスの誓い」(注)を読み上げ、審査委員長の教授が、「これで諸君は医師になりました」と述べて式典は終わった。この「誓い」は日本では各大学の裁量にまかせており、実施している大学はごくまれと聞くが、フランスでは必須だ。
(注)「ヒポクラテスの誓い」
医師が守るべき倫理や任務などについての宣誓文。患者の生命・健康保護の思想、患者のプライバシー保護など、医師がまもるべき倫理がうたわれている
ノーベル平和賞に輝いた「国境なき医師団」の共同創始者であるベルナール・クシュネルは、「ビアフラの深部で、疲労困憊した夜の闇の中で、ヒポクラテスの古い原則を思い出しながら、この誓いに忠実でありたいと思った」と述懐したことがある。
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