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東日本大震災から10年 日本はリスク管理をどれだけ学んだのか?

「想定」のズレが招く社会不安を克服するために必要なこととは

酒井吉廣 中部大学経営情報学部教授

異なる意味合いで使われる「想定」という言葉

 東日本大震災時の津波にせよ、コロナ禍にせよ、顕著なのは、科学的データに基づいた「想定」が、社会が受け入れることができる「想定」の範囲と必ずしも一致しないということだ。なぜ、そうなるのか。先述したように、大きな理由は日本語の曖昧さにある。

 「想定」を英訳すると、
①Prediction(データを使って科学的に想定すること)、
②Expectation(社会的常識等を使って想定すること)、
③Anticipation(将来を見通すこと)、
④Assumption(仮定を立てて結果を予測すること)
の四つがある(括弧内は筆者が違いを明確にするために付けた解釈)。

 裏を返せば、日本語の「想定」は四つの意味をもつ。そのため、この言葉を発する人によって、異なる意味合いで理解されていることが少なくない。

 この四つを使い分けることが重要なのは、東日本大震災を例に挙げれば、「どこまでが天災でどこまでが人災か」、「災害の発生に業務上の過失はなかったか」、「新たな防災を行う時の基準をどうするか」、「その判断責任を誰が負うか」を考える際、日本国、自治体、東京電力、被災者がそれぞれの立場で必要とみなすものと、その理由が異なってくるからだ。

 先述の記事のケースで言えば、内閣府が専門家会議の結論として発表したのは、「100年に一度」の割合で起こる津波ならば、既に完成しつつある14.7メートルの防波堤で防げるが、「千年に1度」の割合で起こる津波は威力が格段に大きいために、防波堤自体を破壊するという科学的試算に基づくものであった。

 専門家にすれば「想定」が異なれば、それに基づく結果が出てきて当然だが、今度は大丈夫と「想定」して安心して住んでいた住民にとっては衝撃である。言い方を換えれば、①の科学的な想定(predict)に基づく威力の強い津波が、②の社会的に受け入れられるレベルでの想定(expected)を上回り、「それは『想定外だった(unexpected)』」という結果を招くのである。

 そもそも「千年に1度」の想定を立てること自体を事前には教えられていなかった住民にすれば、政府に騙されたかのような思いにとらわれても不思議ではない。

拡大津波で壊滅的な被害を受けた宮城県仙台市若林区荒浜の海辺付近の集落。呆然と立ちつくす人や、水につかりながら家を目指す人の姿があった=2011年3月12日 被写体所在地 宮城県仙台市若林区荒浜

住民は何に基づいて津波を「想定」したのか

 次に、被災した地域の住民が、東日本大震災前の津波に対して、どんな「想定」に基づいた備えをしていたかを見てみよう。

 記憶に残る報道がある。とある神社にあったかなり昔の絵に、津波被害の様子が描かれていた。その神社がある場所は高台だったので、地域住民はその絵を目にしてもリスクと捉えることはなかったという。大震災後、その絵が後世への警鐘だったと気付くが、残念ながら、それまでは科学的な見地を重視するあまり、神社の絵に注目することはなかったという説明だった。

 実は神社にあった絵は、住民に万一の備えをさせることを「想定」したものだったと言える。上記の四つの中の③のAnticipationにあたる。

 一方、岩手県釜石市では、津波の襲来を想定した避難訓練をしていた地域で、想定を超える津波が来たので、避難訓練通りの建物に集まるなどの行動をしたにもかかわらず、少なくとも68人が死亡するという悲劇が起こった。避難訓練をするためには津波の大きさを想定する必要があるが、その「想定」に間違いがあったのである。

 また、訓練の印象が強すぎて、市が指定していた高台の避難場所に逃げなかったという悲劇も重なった。「想定外」は二重の悲劇を生んだ。

 想定をした学者、学者から知識を得て判断した釜石市の職員らは、その時点では真剣に想定していたはずである。ここでの「想定」は上記の④のAssumptionであり、おそらく津波の想定をした人達は、科学的根拠というよりも、常識から考えて適当と判断するレベルのものを選択したのだろう。

 だが、彼らに落ち度があるとは言い切れない。仮に①のPredictionによる「想定」をしていたとしても、結局はそれを超える津波にあっていたかもしれないからだ。ちなみに、訓練の避難場所以外を教えられていなかったとする被害者の遺族が起こした訴訟では、「避難場所の周知に積極的義務なし」との判決がでている。

 東日本大震災の被害は、①地震そのものによるもの、②津波によるもの、③原発事故によるもの――の三つだ。①はともかく、③は②の津波によって引き起こされた面が大きい。津波に関する「想定」が①Predictionによるか、②Expectationに基づくものかで、結果は違っていたかもしれないが、それは後講釈の域を出ない。

 興味深いのは、神社にある絵が、科学者たちの研究よりも人々の命を救う教訓を含んでいたかもしれない点だ。③Anticipationの「想定」を単なる迷信と片付けてしまった今のわれわれ日本人の感性に問題があるのかもしれない。

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筆者

酒井吉廣

酒井吉廣(さかい・よしひろ) 中部大学経営情報学部教授

1985年日本銀行入行。金融市場調節、大手行の海外拠点考査を担当の後、信用機構室調査役。2000年より米国野村証券シニア・エグゼクティブ・アドバイザー、日本政策投資銀行シニアエコノミスト。この間、2000年より米国AEI研究員、2002年よりCSIS非常勤研究員、2012年より青山学院大学院経済研究科講師、中国清華大学高級研究員。日米中の企業の顧問等も務める。ニューヨーク大学MBA、ボストン大学犯罪学修士。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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