松下英樹(まつした・ひでき) Tokio Investment Co., Ltd. 取締役
ヤンゴン在住歴18年目、2003年より日本とミャンマーを往復しながらビジネスコンサルタント、投資銀行設立等を手がけ、ミャンマーで現地ビジネスに最も精通した日本人として知られている。著書に「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」(講談社プラスアルファ新書)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
ミャンマー衝突、筆者の自宅内に入り込む催涙弾の異臭 現地から日本へのメッセージ
ミャンマーの治安部隊とデモ隊の衝突が、ついにヤンゴン市内でも始まった。現地からの報告を続けるヤンゴン在住の日系投資会社役員、松下英樹さんの自宅近くもその現場となり、催涙弾のガスが住居内にまで侵入してきた。緊迫の度を増す現地からのリポート第七弾。
松下英樹(まつした・ひでき) ヤンゴン在住。2003年より日本とミャンマーを往復しながらビジネスコンサルタント、投資銀行設立等を手がけ、ミャンマーで現地ビジネスに最も精通した日本人の一人として知られている。著書に「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」(講談社プラスアルファ新書)
ついにヤンゴン市内でもデモ隊と治安部隊の衝突が始まった。今日(27日)は私の住居の近くが“主戦場”となった。昨日(26日)日本人ジャーナリストが当局に連行された現場でもある。催涙弾の発砲音が鳴り響き、銃を構えた治安部隊が大通りを制圧する。デモ隊は逃げてはまた集まり、激しいシュプレヒコールと革命の歌声で抵抗を止めない。クーデターが起きて既にひと月が過ぎようとしているが終わりは見えない。
2月27日(土)午後2時、デモ隊の激しいシュプレヒコールを聞きながらこの原稿を書いている。私の住居はヤンゴンのサンチャウン地区Bagaya(バガヤ) 通りというところで、ヤンゴンの主要交差点の一つであるミャニゴン交差点から500メートルほど西側に位置する。東京でいえば渋谷のスクランブル交差点のようなところで、普段から多くの若者で賑わっている。抗議デモが開始されてからは、そこは主な集会場所の一つとなっており、一昨日までは秩序だった平和的なデモ活動が行われていた。
【動画】2月27日午前11時 警官隊に追われ路地に逃げ込む人々(筆者撮影)
今朝は久しぶりに近くの喫茶店に行きモヒンガー(ミャンマーの国民食と言われる麺料理)を食べた。新型コロナウイルス感染症拡大の影響で昨年の9月末からずっと店内飲食が禁止されていたため、この5か月ほどはずっと持ち帰りのみの営業であったが、数日前から店内飲食が再開された。政府から正式に店内飲食再開の許可は出ていないが、国民の関心はもはやコロナウイルスどころではない。不服従運動(CDM)で行政機能も麻痺していることから「独自の判断」で再開に踏み切ったものと思われる。
朝7時半、店内は既に満席だった。麺料理はやはり熱々でなければいけない。久しぶりに店内で食べたモヒンガーの味は格別であった。周りを見れば、それぞれ好みの朝食を食べ、ラぺッイエ(コンデンスミルクがたっぷり入った甘いミルクティ)を飲みながら、みんな政治とデモのことを話題にしていた。日ごと深刻さを増している状況であるが、コロナ以前の日常生活にやっと戻った喜びを感じることができたひと時だった。
午前11時ごろ、たまった仕事を片付けようと机に向かっていると、突然近隣住民が鍋釜を打ち鳴らし、叫び声が上がった。
「走れ、走れ、逃げろ!」
慌ててバルコニーに出てみると、大通りからデモ隊の若者たちが路地に向かって走ってくる姿が見えた。住民たちはそれぞれ家の扉を開けて、数名ずつをかくまっているようだ。リーダーと思しき青年が叫んでいる。
「左右に散らばれ、建物の中に入るんだ!」
大通りでは通りがかった市営バスが道路を塞ぐようにして止まっている。制服を着た治安部隊がバスの運転手を引きずり降ろしている。発砲音が数回鳴り響き、白煙が上がった。「バズン、バズン」。銃声より重い響きだった。催涙弾を発射したらしい。
風に乗ってこちらまで煙がやってくる。異臭がする。目が痛い。部屋に戻ってマスクを探す。こんな時にマスクが役立つとは思わなかった。クーデターが起きてから約1か月、いろいろな意味で非日常の世界を味わってきたが、まさか自分が催涙ガスを浴びることになるとは・・・。
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