連載・失敗だらけの役人人生⑬ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓
2021年05月20日
2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。
国会担当の主要な立ち回り先の一つに、与党の国会対策委員会(国対)があります。与党国対は与党における国会運営の司令塔であり、予算案や法律案・条約案などの審議の順序や採決のタイミングなどを野党と折衝しながら差配しています。このため、各省庁の国会担当は、与党国対の先生方の理解を得て一日でも早く法案などの懸案事項を処理してもらおうと国対の部屋に日参します。
政策担当部局にいた時には、国会対策といえば与党政調の部会が真っ先に頭に浮かび、政務三役経験者や防衛政策に造詣の深い先生方などへの根回しばかり気にしていました。その一方で、与党国対への説明は「法案審議に必要な手続きの一つ」というくらいの意識しか持っておらず、その重要性を十分理解していませんでした。防衛省全体にそういう傾向があったからかも知れませんが、事務次官を務めていた頃、当時の与党国対の先生から「防衛省はもっと国対との付き合いを大切にした方がいいよ」とやんわり苦言を呈されたことがありました。
政府が法案を提出したら国会で自動的に審議が進んで行くという訳ではありません。国会は立法を行う機関ですが、同時に政治権力の闘争の場でもあります。その中で法案を通していくためには、必要性やスケジュールについて与党国対に認識を共有してもらい、野党との駆け引きの中でうまく後押ししてもらう必要があるのです。与党国対が作る国会運営戦略の中に位置付けてもらえなければ、法律案や条約案は国会を通りません。
各省庁の国会担当の仕事は、予算案や法案の審議促進だけではありません。国会会期中における政務三役の出張や外交日程なども与党国対との重要な調整事項です。会期中の大臣以下政務幹部の海外出張については、野党は「最優先しなければならないはずの国会を軽視している」などと批判すべく虎視眈々と狙つています。与党国対も本会議採決などに影響を与えないよう議員の動向に神経質になっているので、よほど「不要不急ではない」「どうしても必要」という理由がつかない限りOKは出ません。
そんな中で、多国間の国際会議など役所として是が非でも実現しなければならない出張がある場合には、各方面の了解を取り付けるため国対や議員運営委員会の先生方の間を走り回り、出張目的や日程の説明に汗をかかなければなりません。当然のことながら、国対は防衛問題に詳しい議員ばかりで構成されている訳ではありません。
特に幹部の先生方は、国政全般の状況をにらみながら国会運営の戦略を組み立てていくので、防衛省の問題だけにかかわっている訳にはいきません。仮にアポが入ったとしても、説明時間はそんなに長くはとれないのです。急を要する案件の場合にはアポがとれず、国対の部屋の前の廊下で出待ち、入り待ちをすることもしょっちゅうあります。
そんな時には、専門用語をふんだんに使った論点網羅型、思考過程紹介型の説明は役に立たないので、簡潔な資料を用いて短時間でわかりやすく説明する必要があります。エレベーターで同乗した相手に対して目的階に到着するまでの短い時間のうちにブリーフをして理解を得るエレベータートークという会話術がありますが、与党国対ヘの説明を繰り返す中で、私はその種の簡潔な説明の重要性を痛感しました。
このため、自分が説明に赴く時には、必ず事前に「何を、どういう順序で、どのような例を引きながら話せば簡潔でわかりやすい説明になるか」を考え抜いて準備するように心がけました。説明用のペーパーは原則としてA4版で1枚とし、内容は前に紹介した必殺「3の字固め」で構成することとしていました。また、政策部門で身につけた「問題を抽象化して考える癖」が説明の引き出しを増やすことにつながり、短時間での効率的な説明に大いに役立ちました。
簡潔な説明を心がけるだけでなく、説明の際に使うべきでない言葉、使った方が良い言葉、相手に良い印象を与える言葉使いなども意識しました。防衛政策の章で触れた第二のK、すなわち相手の共感を得るための話し方です。
政策案を説明する相手は、必ずしもこちらの案に賛成している人たちばかりではありません。案に興味のない人、懸念している人、反対の人など様々な相手に説明して、出来るだけ多くの人たちの理解と共感を得て賛成に回ってもらわなければならないのです。そのためには、相手の疑問点や懸念をも含めて率直なやり取りをする必要があります。
その際、ちょっとしたことで不必要に不快感を抱かせたり、相手を怒らせたりしないように注意すべきことは当然です。望ましいのは、相手に肯定感や安心感、親近感を抱かせ、話しやすい雰囲気を作ることです。ポジティヴで友好的な雰囲気の下では自然に会話が弾み、率直なやり取りもしやすくなります。こうしたことを可能にする話し方や言葉使いを、私はポジティヴ・コミュニケーションと呼んでいます。
※写真はイメージです
ネットで「ポジティヴ・コミュニケーション」を検索するといくつかの使われ方が見つかりますが、私は「相手の気持ちや相手との会話の雰囲気を前向き、肯定的なものにするためのコミュニケーションの仕方」というような意味で使っています。ポジティヴ・コミュニケーションは、部外者に政策を説明する場合だけでなく、上司として組織を管理する際にも効果を発揮しますし、私生活で円満な人間関係を作る上でも役立ちます。以下には、その具体的な技を紹介します。
ポジティヴ・コミュニケーションの中で、相手に不快感を抱かせないための代表的な技が「dことばのタブー」です。
国会担当審議官は、防衛省関係の与党の部会にはほとんど全て出席します。そうした場で原局原課の説明に立ち会い、説明ぶりや応答ぶりを聴いていてとても気になることがありました。質疑応答の中で役所側が「ですから」と「だからですね」という言葉を使うたびに、確実に会議の雰囲気が冷えていくのです。
そんなことが気になっていたある日の夕方、たまたまつけていたテレビのニュース番組に目が釘付けになりました。タクシーのドライバーが客に暴行される事案が多発していることから、ドライブレコーダーの記録を分析してその原因を究明しようとしたというニュース特集でした。それによると、運転手さんのある言葉が客をイラつかせ、怒りをエスカレートさせるのだそうです。それがまさに「だから」と「ですから」でした。
特に、酔客は認識力が低下しているので、道順を繰り返し確認したりしがちです。そういう客に対して運転手さんがうかつに「だから」「ですから」を使って答えると、「これだけ言ってもわからないのか」というニュアンスが伝わり、客を怒らせてしまうのだそうです。そのタクシー会社は、暴行事件を減らすためにこれらの言葉を使わないように乗務員に指導しているということでした。
偶然見た番組だったのですが、目からうろこが落ちたような気がしました。政党の部会などの場で「だから」「ですから」を多用すると、質問者に対して「さっきから説明しているじゃないですか」「まだわかりませんか」と言っているのと同じだということなのです。
この二つの言葉よりもさらに悪い印象を与えるのが「だったら」です。さすがに部会で役所側から出ることはありませんが、言うまでもなく「だったら、どうしろと言うのですか?」という開き直りのニュアンスを伝える言葉です。このことに気づいてから、説明の際には出来るだけ「だから」「ですから」などの言葉を使わないように意識するようになりました。
インターネット上にも「D言葉」「dことば」などとして、「でも」「だって」「だから」「だったら」などの言葉は相手に否定的なニュアンスを伝えて事態を悪化させる効果があるので、特にトラブルに遭った時は使わない方が良いとする記事がたくさん出ています。政策の中身は素晴らしいのに、些細な言葉使いで相手を怒らせたりするのは愚の骨頂ですから、「dことばのタブー」は十分に意識しておくべき技だと思います。
これはあるテレビ局の記者さんの受け売りですが、「dことば」とは対照的に、サ行の言葉には相手の気分を上向かせる効果があります。具体的には、「さ」=「さすがですね」、「し」=「知りませんでした」、「す」=「凄いですね、素晴らしいですね」、「せ」は他の言葉と比べるとやや苦しいのですが「センスありますね」、そして「そ」=「そうなんですかあ」といつたところです。これらの言葉を連発されて気分が良くならない人は稀だと思います。
さらに、「失礼しました」「承知しました」あるいは「すみません」の一言から会話を始めると、こちらの謙譲の気持ちが伝わって相手の気持ちを和らげる効果があるとの指摘もあります。ネット上では、「D言葉」の対極に位置する「S言葉」として積極的に使用すべきだという記事を見つけることが出来ます。
「なんだ、お世辞じゃないか」「そんなのは単なるヨイショじゃないか」と思われる方もおられるでしょう。でも、私はお世辞やヨイショが恥ずかしいことだとは全く考えていません。理由は二つあります。
第一の理由は、お世辞やヨイショの本質は相手と問題意識を共有していることを伝える点にあるからです。私が言うお世辞やヨイショは、心にもないお追従を言ったり相手を過剰におだてたりするような卑屈なことではありません。自分の考えと相手の考えの共通点や親和性のある点を見つけ出して、自分もその問題意識を共有しているということを伝え、肯定感を持ってもらうということなのです。だから、私にとってお世辞とヨイショの対象は先輩や目上の人間だけではありませんでした。部下や後輩に対しても、仕事や組織管理の上で必要があればためらいなく同じ様に接していました。
第二の理由は、効果的に場を和ませることが出来るからです。言葉遣いの工夫一つで相手の気持ちが和らいで会話が弾み、相手が自らの考えを話してくれたり、こちらの説明をよく聞いてくれたりするのなら、こんな簡単で安上がりな手段はありません。お世辞やヨイショと決めつけず、実際に使ってみれば必ず効果を実感できるものと思います。
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