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現代中国の「行幸」 習近平国家主席が2021年の地方視察に込めた意味

北京冬季五輪会場予定地、「遵義会議」が開かれた貴州をなぜ選んだのか……

冨名腰隆 朝日新聞記者 中国総局員

 天皇陛下の地方訪問時に使われる「行幸」は、古来より中国に存在する言葉である。前漢時代(紀元前206年~紀元8年)を記した歴史書「漢書」に、すでに行幸に関する記述がいくつもある。後漢の文人・蔡邕は、皇室の等級規定や祝日の解釈などを記した「独断」の中で、天子が地方へ行くことによって人々が食や身分の恩恵を受けるのだと、行幸の意義を説いた(幸者宜幸也。世俗謂幸為僥倖。車駕所至、民臣被其徳澤以僥倖、故曰幸也)。

地方視察の政治的機能

 当然ながら、古代の中国皇帝も日本の天皇も、物見遊山や単なる顔見せで地方を巡ったわけではない。そこには明確な目的があり、時には祭祀のため、時には自らが支配者であることを知らしめるために地方へ出向いた。為政者にとって、行幸が重要な政治機能の一つであったことは確かだ。

 現代中国では行幸の呼び方こそ消えたが、為政者による地方視察の伝統は脈々と受け継がれている。

 日本の26倍ある面積に56民族・14億人が暮らす中国で、政治リーダーが自ら地方へ赴く意味は小さくない。とりわけ習近平国家主席は、自身の政治キャリアの多くを地方で過ごしたこともあり、地方の安定を重視している。現共産党最高指導部の政治局常務委員メンバー7人は、学者出身の王滬寧氏を除いて全員が地方政府のトップを経験している。

 習氏は今年に入り、すでに2度の地方視察をこなしている。それぞれ特徴的な訪問であった。本稿では、その意味について論じたい。

2021年2月3日、貴州省畢節市で春節を祝うイベントに参加する習近平国家主席=新華社

五輪会場予定地で「国のために栄光を」

 1月18、19両日に習氏が訪れたのは、2022年北京冬季五輪・パラリンピックの会場予定地だった。

 開催まであと1年。新型コロナウイルスの拡大で東京五輪の開催に不透明感が漂う中、北京五輪への影響を懸念する声も広がっていた。あえてトップが視察したのは、そうした内外の不安を払拭し、「何が何でも開催する」という強い意思を示すためだ。

 スケートやスキーの会場を確認した習氏は、「感染の封じ込めに対するリスクはまだ大きい。管理を最適化して安全を確保する必要がある」と関係者に指示し、選手に対しては「スポーツ強国の建設は、社会主義現代化国家への重要な目標だ。国のために栄光を勝ち取れ」と鼓舞した。

2021年1月18日、北京市郊外のアルペンスキーセンターで、選手やコーチと語る習近平国家主席=新華社

 一部の競技は北京から約200㌔北西に位置する河北省張家口市で開かれる予定で、習氏は一昨年開通した高速鉄道に乗り、その会場も訪れた。4年前の同地への視察は専用機で移動しており、インフラ発展のアピールにも余念がない。

 視察の6日後、習氏は国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長に「準備は整った。必ず予定通り開催し、五輪の成功を確実なものにする」と伝えた。共産党関係者は「我々に延期や中止の選択はなくなった。国家主席が視察するというのは、そういう意味だ」と語る。

貴州訪問に込められた意味深長なメッセージ

 2月3~5日には南部の貴州省を訪ねた。

 毎年、春節(旧正月)を控えた時期に地方視察を行うことが恒例になっている。昨年1月にも湖北省武漢市で新型コロナが拡大する中、習氏は外遊先のミャンマーから雲南省へ向かった。視察先からコロナ対応への指示を出しており、いかに地方視察を重視しているかがうかがえる。

 中国メディアの報道によると、春節前の地方視察が定着したのは胡錦濤政権以降のようだ。事実上の最高指導者だった鄧小平氏は、1988年から7年連続で上海で春節を迎えたが、これは静養の意味が強い。江沢民元国家主席は1990年に山西省を、2000年に広東省を訪ねているが、こうした視察は散発的だった。交通網が現在ほど発達しておらず、特に農村部へ分け入ることは容易ではなかっただろう。

 年の瀬が迫るこの時期の習氏の視察には、決まった演出がある。庶民と語らい、親しみやすさをアピールすることだ。貴州視察でも、スーパーを訪れると「農産品は調達できているか」「物価は高くないか」と生活ぶりを細かく聞き、少数民族・ミャオ族の村ではちまき作りに加わった。

2021年2月3日、貴州省畢節市のミャオ族の村で、伝統料理を作る習近平国家主席(中央)=新華社

 今年の訪問地に貴州を選んだことは、さらに特別な意味を持っている。貴州は1930年代、共産党軍が国民党軍の包囲から逃れて約1万2千㌔を踏破した「長征」において、最も長く活動した地である。毛沢東氏は1935年、この地で開かれた「遵義会議」によって指導権を確立した。

 今年は共産党結党100周年の節目であり、来年には習氏の去就が注目される党大会が控える。習氏が貴州訪問に込めたメッセージは意味深長だった。省幹部を集めた場で習氏は「遵義会議の特徴は党中央の正しい指導を確立し、革命にあう戦略を制定したことだ。これは今日にも重要な意味を持っている」と権力集中の必要性を説いた。

習氏が川べりを歩く二つの理由

 2012年の党総書記就任以来、習氏の地方視察は80回以上に及ぶ。その活動内容を分析すると、一定の傾向が浮かんでくる。

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