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沖縄報道のフロントランナーから、メディアで働く女性たちへ~国際女性デーに寄せて

女性である、育児で仕事を休む……。全てが多様な社会を見つめる目、耳、足場になる

阿部 藹 琉球大学客員研究員

主流から離れたからこそ見えた社会の問題

 そんな中でも2人はそれぞれ苦しみを乗り越えながら道を切り開いてきた。与那嶺さんはみずからのポジションが上がっていく中で、仕事と私生活で困難に直面し、うつ病で休職した経験を明かしてくれた。

 与那嶺さん)

 記者には「抜いた、抜かれた」の世界があって緊張感が高い。私は30代後半で経済班のキャップになりましたが、他紙が気になって夜中に起きては見る、ということを繰り返している中で、眠れなくなりました。その後もう少し落ち着いて仕事ができる「くらし報道班」に希望を出して移りましたが、今度は全然仕事の仕方が違う。経済班の時はキャップ、リーダーみたいなこともうまくやっていたはずなのに、なかなかうまくできない。

 そんな時に父親がガンで亡くなるということが重なりました。父は沖縄戦で両親や兄弟を失ってすごく苦労した人なので、老後は私が見るんだとイメージしていたのですが、それができなかった。仕事もうまくいかない、父親も亡くなる、ということがあってうつ病になって、5ヶ月あまり仕事を休みました。ちょうど年末の繁忙期で、休むことはすごく辛かったけれど、友達や後輩にも「絶対休んだ方がいい」と言われて、決意して休むことになりました。

 最初はちょっと散歩しただけでもすごく疲れが出る状態でしたが、少しずつ疲れが取れていきました。そんな中で「自分を振り返らないといけない」と思って、その日の出来事を毎日書くことをはじめました。それから段々と、家族や同僚との関係、仕事のやり方などを振り返って自分自身と向き合いました。この作業を通じて「自分はそんなに仕事ができなかったわけではないんじゃないか」「結構頑張ったよね」とようやく思うことができました。

 私はずっと自己肯定感が低かったんですが、うつ病になって自分を見つめて
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筆者

阿部 藹

阿部 藹(あべ あい) 琉球大学客員研究員

1978年生まれ。京都大学法学部卒業。2002年NHK入局。ディレクターとして大分放送局や国際放送局で番組制作を行う。夫の転勤を機に2013年にNHKを退局し、沖縄に転居。島ぐるみ会議国連部会のメンバーとして、2015年の翁長前知事の国連人権理事会での口頭声明の実現に尽力する。2017年渡英。エセックス大学大学院にて国際人権法学修士課程を修了。琉球大学客員研究員。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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