松下英樹(まつした・ひでき) Tokio Investment Co., Ltd. 取締役
ヤンゴン在住歴18年目、2003年より日本とミャンマーを往復しながらビジネスコンサルタント、投資銀行設立等を手がけ、ミャンマーで現地ビジネスに最も精通した日本人として知られている。著書に「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」(講談社プラスアルファ新書)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
眼前で響くライフルの銃声、追われる若者「民主主義を取り戻すため」と再びデモに
ヤンゴン在住の日系投資会社役員、松下英樹さんの眼前で銃声が響き、警察隊に追われた若者たちが、家に避難を求めてやって来た。自由を失うことの方が、デモで危険にさらされるよりも怖い──若者の一人は松下さんにはっきりそう告げて、街路に戻って行った。現地リポート第八弾。
松下英樹(まつした・ひでき) ヤンゴン在住。2003年より日本とミャンマーを往復しながらビジネスコンサルタント、投資銀行設立等を手がけ、ミャンマーで現地ビジネスに最も精通した日本人の一人として知られている。著書に「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」(講談社プラスアルファ新書)
3月5日(金)午後2時(現地時間)停電が始まってから既に1時間以上たった。電力が不安定なヤンゴンでは停電は珍しいことではないが、現地メディアの速報で「ミャンマー全土で停電か」とのニュースが入ってきた。この状況下での停電は不安が募る。PCのバッテリー残量を気にしながら、この原稿を書いている。
外気温は37度、外は今日も激しいデモが続いている。27日に初めて催涙ガスを体験してから1週間、催涙弾の白煙にも、激しい空砲の音にも慣れてしまっている自分に気づく。(停電は午後2時45分に復旧した)
既に日本でも報道されている通り、国軍による国民への弾圧は激しさを増している。
2月28日には全国で18人、3月3日には少なくとも38人が警察と軍による発砲で亡くなった。犠牲者の多くは頭部を後ろから撃ち抜かれている。デモに参加していない医師やフードデリバリーの配達員まで殺されてしまった。ヤンゴン市北オッカラパ地区ではサブマシンガンの銃撃によって死者6名、重傷者多数という惨事が起きている(5日時点で30名以上が死亡したという情報もある)。これは治安維持活動中の事故などではない。民衆に対する無差別テロ行為である。孤立を深める国軍は民衆を黙らせるためには手段を択ばない段階にきている。
国連のブルゲナー事務総長特使(ミャンマー担当)は3日、ミャンマー国軍が制裁と孤立に屈しない姿勢を示していると発言、国際社会に対し同国の民主主義を取り戻すため「非常に強力な措置」を講じるよう呼び掛けた。ブルゲナー特使はミャンマーのソー・ウィン国軍副司令官と会談し、軍事クーデターへの対抗措置として、一部の国が強力な措置を導入する可能性が高いと伝えたが、副司令官は「われわれは制裁に慣れており、制裁を生き延びた」と回答したという。
また特使は、ミャンマーが孤立することになるとも伝えたが、副司令官は「われわれはごく一部の友好国と、ともに歩んでいくことを学ぶ必要がある」と答えたという。 特使がニューヨークで記者団に明らかにした。(ロイター 3日)
2月28日(日)、この日はミャンマーも「ミルクティー同盟」( Milk Tea Alliance )の一員として民主化運動を盛り上げようと、若者たちがSNSで抗議デモへの参加を呼び掛けていた。台湾、香港、タイ、ミャンマーはそれぞれの国・地域がタピオカティー、香港式ミルクティー、チャーイェン、ラペイエという独自のミルクティー文化を有しているが、中国では、紅茶を飲む際にミルクを用いないため、東南アジアの人々はミルクティーを反中国連帯の象徴と見なしているからである。(ウィキペディアより)
既にSNSで28日は大規模なデモが行われるという情報が拡散しており、商店なども朝から全て休業していた。午前9時頃から家の前の大通りには大勢の若者たちが集まり、シュプレヒコールを繰り返していた。午後1時30分頃、催涙弾の発射音と銃声(空砲)が鳴り響く。近隣の住民が鍋を打ち鳴らして若者たちに警報を鳴らす。数百名の若者たちが家の前の路地に駆け込んできた。
ここまでは前日と同じだったが、この日はライフル銃を構えた警察隊が数十名、デモ隊を追って路地まで入ってきた。窓から見ていた私のすぐ下で、銃を構えて何か叫んでいる。引き金に指がかかっているのが見えた。「バン!」乾いた大きな音が響き、思わず目を閉じた。どうやら空砲だったようだ。一瞬、目が合ったような気がして、あわてて身を隠す。
しばらくして、かすかに部屋のドアをノックする音がした。緊張しながらドア越しに声をかける。「どなたですか?」「すみません、少し休ませていただけませんか?」デモ隊の若者たちだった。ドアを開け、部屋に招き入れる。20人ほどの若者が入ってきた。皆、床に座り込んで、無言でスマホを操作している。他の仲間と安否を確認しあっているようだ。
英語が話せるという男性に話を聞いてみた。彼の名前はS君とする。24歳。マレーシアの大学を卒業し、2年前にミャンマーに戻ってきた。今は大手エンジニアリング企業で営業担当をしている。学生時代には北海道に旅行に行って、スノーボードを楽しんだことがあると言っていたくらいなので、かなり豊かな家庭で育ったのだろう。
──いつからデモに参加しているのですか?
2月6日からです。(注:全国で抗議デモが開始された初日)
──毎日デモに参加しているのですか?
すごく疲れるので、次の日は休んで、一日おきに参加しています。
──いつもこの場所(サンチャウン地区ミャニゴン交差点付近)に来ているのですか?
いいえ、毎回違う場所です。今日はこの近くに住んでいる友人たちと一緒に来ました。
──ここにいる全員が知り合いですか?
いいえ。ほとんどは学生さんで、今日知り合ったばかりです。
──今日は何時から来ているのですか?
朝7時からです。我々はフロントライン(最前線)を担当しているので、いろいろ準備があります。防具を用意したり、守備位置と役割を決め、避難経路を確認したりしています。
──誰かの指示で活動しているのですか?
いいえ。今回のデモにリーダーはいません。全員がリーダーとして自発的に行動しています。私たちG-Z(Z世代)の若者はG-X(1988年の民主化運動世代)よりずっとスマートです。今はインターネットも携帯電話もあります。昔とは違います。
──デモの目的は?
我々が選挙で選んだリーダーである、アウン・サン・スー・チー国家顧問とウィン・ミン大統領の解放と民主主義を取り戻すためです。今日は「ミルクティー同盟」の他の国の活動家とも連携しています。
──怖くはありませんか?
いいえ。自由を失うことの方が怖いです。軍政には絶対戻りたくありません。
──この状況はいつまで続くと思いますか?
それはわかりません。私も早く以前の暮らしに戻りたいと思っています。私の叔父は首都のネピドーで公務員をしていましたが、CDM(不服従運動)に参加したために逮捕されて、投獄されてしまいました。こんなことは許されません。政権を取り戻すまで抗議活動を続けます。