松下英樹(まつした・ひでき) Tokio Investment Co., Ltd. 取締役
ヤンゴン在住歴18年目、2003年より日本とミャンマーを往復しながらビジネスコンサルタント、投資銀行設立等を手がけ、ミャンマーで現地ビジネスに最も精通した日本人として知られている。著書に「新聞では書かない、ミャンマーに世界が押し寄せる30の理由」(講談社プラスアルファ新書)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
眼前で響くライフルの銃声、追われる若者「民主主義を取り戻すため」と再びデモに
1時間ほど休憩した後、彼らは再びデモに戻っていった。S君は私に名刺を差し出した。「私の会社は日系企業とも取引があります。落ち着いたら連絡させてください。今日は本当にありがとうございました」
他の若者たちも口々に丁寧な礼を述べながら去っていった。私はただ、彼らの背中に「気を付けて」と声をかけることしかできなかった。私から見ればみんな自分の子供のような世代の若者である。一人の若者が腕を見せてくれた。そこには自分の名前と血液型、そして連絡先の電話番号が書かれていた。それはもちろん撃たれて倒れた時の備えである。
私はかつて本当に命懸けで何かと闘ったことがあっただろうか。
危惧していたことが現実となった。ミャンマー各地の主要都市で28日、軍と警察は全国各地で実弾発砲など武力行使を強化した。国連によれば少なくとも18人が死亡したとのことである。SNSには犠牲となった人々の画像が続々と投稿された。ヤンゴン市内でも数名が銃弾に倒れた。
そして3月3日、ヤンゴン市北オッカラパ地区では護送車に乗せられ連行されようとする仲間を取り戻そうとしたデモ隊と警官隊が衝突、サブマシンガンによる実弾射撃で30名以上が死亡、他に重傷者多数という惨劇が起きた。
同地区ではボランティア救急隊員の数名の若者に対し、複数の治安警察官が殴る、蹴るの暴行を加え、うち1名がライフルの台座で殴打され死亡した。その現場を映していた監視カメラの映像がSNSで拡散され、国民に衝撃を与えた。
(動画は https://www.youtube.com/watch?v=hXO1fLj4FL8 閲覧は注意してください)
マンダレーではデモに参加していた19歳の女性が当局に連行される途中で、頭部を撃ち抜かれて死亡した。彼女が首にかけていたカードホルダーにはこんなメッセージが書いてあった。「私が元に戻れなさそうなら、もう助けないでください。それより、まだ使える身体の部分、臓器は寄付します」
他にも続々とアップされるSNSの投稿。一体、この日一日で何人の命が奪われたのか、実際に数えきれない。当局に連行された人の数も1000人を超えたという。3月3日の夜、私はこの現状を日本の読者に伝えなければと机に向かったが、結局、原稿は書けなかった。まさに言葉にならなかったのである。
3月4日の夜、午後7時。窓の外から歌声が聞こえてきた。通りには無数のロウソクの灯りがともされている。路地で近隣の若者たちが犠牲者を弔う集会を行っていた。バイオリンの音色が胸に響く。もう十分だ。亡くなった彼ら、彼女らの思いを背負って生きていくことは私にはできそうもない。私には重すぎる。
「戦いが始まるとき、まず失われものは若い命である。」これは映画「仁義なき戦い 第3部」のエンディング・ナレーションである。不謹慎だがそんな言葉が脳裏をよぎった。そしてそのナレーションはこう続く。「そして、その死がついに報われた例がない。」
そうならないことを切に願う。
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