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日本の国益を損ねる海外からの目に無頓着という宿痾~「森発言」の誘因

「外向き」と「内向き」を繰り返す日本。「ゆでガエル」の現状からどう脱却するか

岸本周平 国民民主党衆院議員

“ぬるま湯”のなかで強まる内向き志向

 確かに当時の日本には勢いがありました。通産省に出向、コンテンツ産業を担当していた私は、中国や韓国にメディアコンテンツなどについて教えにいったものです。しかし、その後、韓国のコンテンツ産業は飛躍的に伸び、今や日本を凌ぐ勢いです。おごれる者も久しからず、を感じざるを得ません。

 戦争に負けた日本は戦後、世界から認められようと、遮二無二努力をしてきました。その結果、GNP(国民総生産)がアメリカについで世界2位となり、「1億総中流」といわれる豊かな社会を手に入れました。安全保障も日米安保の傘のもと守られている。そんな“幸福な”状態、言い方を変えれば“ぬるま湯”のなかで、いつしか海外に目を向ける努力を怠るようになったのです。

拡大Garnmoir/shutterstock.com

 その後、今に至るまで、この状況は変わっていません。実際には中韓に抜かれているにもかかわらず、巷(ちまた)に溢れる根拠のない「日本礼賛」を目にするにつけ、日本社会の内向き傾向はますます強まっているとさえ思います。政治、そしてメディアも例外ではありません。

戦前にもあった「外向き」から「内向き」への転換

 昭和後半から平成、令和にかけてのこうした変化は、実は明治、大正、昭和前半にかけての時期にもありました。

 NHK大河ドラマの今年の主人公は渋沢栄一ですが、彼が青雲の志を抱いて事業に邁進した明治時代、日清・日露戦争に勝利をおさめた日本が世界の列強の一角をしめるようになった大正まで、日本は他国からの目線を気にかけ、国際法を遵守し、戦争法規を守る模範的な国家でした。

 ところが、満州事変以降、日中戦争の泥沼に踏み込んでいく過程で、別な国になったと見まごうほどの変貌(へんぼう)を遂げます。海外からの目をまったく気にしなくなったのです。

 満州事変の約10年前、1922年に行われたワシントン会議で米仏中などが「9カ国条約」を締結しました。中国の主権尊重・領土保全や門戸開放・機会均等を定める条約です。また、1928年にはパリで「戦争放棄に関する条約」(不戦条約)が調印されました。国際紛争の解決は平和的手段によるものとし、武力の行使を禁止するもので、日本の戦後憲法の9条の母体にもなったものです。

 言うまでもなく、日本は両条約にサインをしています。第1次、第2次世界大戦の間の「戦間期」の国際協調の大きな流れにのっていたのです。

 しかし、満州事変以降、日本は世界の潮流とは真逆な方向に舵を切る。そこには、世界からどう見られるのかという視点がまったくありませんでした。その後、日本は日中戦争の泥沼に足を取られ、太平洋戦争に突入して悲劇的な結末を迎えたのです。

拡大RRice/shutterstock.com

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筆者

岸本周平

岸本周平(きしもと・しゅうへい) 国民民主党衆院議員

1956年7月12日和歌山市生まれ。広瀬小学校、城東中学校、桐蔭高等学校、東京大学法学部卒業。1980年大蔵省入省、プリンストン大学客員講師、経済産業省課長、財務省課長、トヨタ自動車(株)渉外部部長、経済産業大臣政務官、内閣府大臣政務官などを歴任。2009年より和歌山1区で小選挙区4期連続当選

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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