市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員
1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
なりふりかまわぬ中国共産党―全人代が民主派排除の選挙制度改変決定
中国と香港をめぐる「一国二制度」がこの瞬間、崩壊した。
そう断言してもいいだろう。
2021年3月11日、中国人民代表大会(全人代)が香港の民主化に歯止めをかける選挙制度改変を決めた。賛成2895票、反対0、棄権1という、習近平体制の一枚岩を誇示する採決結果だった。今後、全人代常務委員会などで詳細が詰められ、香港の議会にあたる立法会で条例が改められることになるが、香港立法会はすでに民主派の力が失われ、すんなり決まることになる。
改変の目的は、国家安全維持法などで一度でも罪に問われた人は「愛国者ではない」と新設の委員会から認定され、香港議会に立候補すらできないという仕組みの確立だ。香港の自治や北京中央政府に対する「異論」はすべて封じられることになる。
これによって、1997年、香港がイギリスから中国に返還されて以来、一つの国に二つの政治制度、しかも資本主義と一党独裁社会主義が並立するという世界史初の壮大な実験は、「2021年に失敗に終わった」と歴史に刻まれることになる。
歴史学者や国際法学者が現時点で結論を出しにくいとしても、少なくとも言論の自由や民主主義を重要なバロメーターとして考えてきたジャーナリズムの観点から見れば、「失敗」と断定せざるをえない。
「一国二制度」の根幹は、外交と国防という国全体が担うべき分野以外は、政治・経済・社会的制度が返還前と比べて「不変」で、それらの「高度な自治」を50年間は保障するというものだった。
1982年に当時の中国最高実力者、鄧小平氏が賓客との会談で初めて口にして注目されるようになった「一国二制度」だが、元々は台湾と統一を図りたい中国が、「武力による解放」から「平和的な交渉」に転換するひとつの手段としてのアイデアだった。それを香港返還やポルトガルからのマカオ返還に採用する試みだったとされる。
筆者は1996年から香港特派員として駐在し、翌年の香港返還の瞬間を見届けることができた。今、このような事態になり、当時、自分が何を予測できたか、香港市民が何に関心を持ち将来にどんな期待をしていたか、振り返って考えることがある。