市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員
1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
なりふりかまわぬ中国共産党―全人代が民主派排除の選挙制度改変決定
それらを丸めて言えば、「雑多」や「猥雑」といった言葉が似合う、心地よさと不安定、日本の秩序社会と比べれば「でたらめ」という特徴がこのまま続くのだろうか、世界にも珍しい存在が続けばいいのだが、ということだった。
1989年の天安門事件に抗議する市民のデモが数十万人規模で起きる。書店には、虚実ないまぜになった北京中央政府批判の本や、誰が告白したのか分からない「暴露本」が並ぶ。親中派の新聞と香港紙があべこべのことを書いても不思議ではない。どう儲けているのか分からない人がリッチな生活をしている。香港政府や北京政府に誰が悪口を言おうが、とがめる人はいない。警察でさえ恐れる存在ではない――。
これらの「猥雑さ」がずっと続くとは思っていない。ただ、中国に返還される日が近づくにつれ、香港市民の関心は、身体的な自由、言論の自由がこのまま続くのだろうか、という疑問に集約されていった。
しかしその時、「愛国心」「愛国者」という言葉は聞いたことがなかった。
なぜなら、返還が嫌でカナダやアメリカに脱出する人たちは別として、香港が中国中央政府の支配下に入ること、それに納得すること自体が、ある意味「愛国心」の表れであり、仮に香港市民が今後、中央政府の政策を批判したとしても、長い目で見て中国を良くすることにつながる。香港から見て中国本土が「不自由」だったとしても、それを包含する中国全体の寛容さが中国の国際的地位の向上につながるという、中国当局と香港市民の「暗黙の了解」があったからだと理解していた。
当時、確かに「愛国」と「一国二制度」は次元が違う問題のはずだった。
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