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香港がつぶされた日。「一国二制度」を終わらせた「愛国」の踏み絵

なりふりかまわぬ中国共産党―全人代が民主派排除の選挙制度改変決定

市川速水 朝日新聞編集委員

香港が中国に返還された1997年7月1日の返還式典会場。香港・湾仔のコンベンションセンターには中国国歌が響き、五星紅旗と香港特別行政区旗が掲揚された。江沢民・中国国家主席は、香港同胞を含むすべての中国人の喜びを宣言した。写真は壇上で演説する江主席

世界史に刻まれる「2021年の失敗」

 中国と香港をめぐる「一国二制度」がこの瞬間、崩壊した。

 そう断言してもいいだろう。

 2021年3月11日、中国人民代表大会(全人代)が香港の民主化に歯止めをかける選挙制度改変を決めた。賛成2895票、反対0、棄権1という、習近平体制の一枚岩を誇示する採決結果だった。今後、全人代常務委員会などで詳細が詰められ、香港の議会にあたる立法会で条例が改められることになるが、香港立法会はすでに民主派の力が失われ、すんなり決まることになる。

 改変の目的は、国家安全維持法などで一度でも罪に問われた人は「愛国者ではない」と新設の委員会から認定され、香港議会に立候補すらできないという仕組みの確立だ。香港の自治や北京中央政府に対する「異論」はすべて封じられることになる。

 これによって、1997年、香港がイギリスから中国に返還されて以来、一つの国に二つの政治制度、しかも資本主義と一党独裁社会主義が並立するという世界史初の壮大な実験は、「2021年に失敗に終わった」と歴史に刻まれることになる。

 歴史学者や国際法学者が現時点で結論を出しにくいとしても、少なくとも言論の自由や民主主義を重要なバロメーターとして考えてきたジャーナリズムの観点から見れば、「失敗」と断定せざるをえない。

進退について記者会見で説明する香港の民主派の議員ら=2020年9月29日、香港立法会
香港国家安全維持法の施行に反対する香港のデモ行進。「(中国共産党の)一党独裁を終わらせよ」と書かれたビラを掲げる参加者も=2020年7月1日、香港

平和のためのアイデアが由来。四半世紀で骨抜きに

 「一国二制度」の根幹は、外交と国防という国全体が担うべき分野以外は、政治・経済・社会的制度が返還前と比べて「不変」で、それらの「高度な自治」を50年間は保障するというものだった。

1982年秋に訪中した鈴木善幸首相(当時)と握手し会談に臨む鄧小平氏(右)。このころには、香港返還と「一国二制度」を絡める構想が具体化しつつあったとされる=北京・人民大会堂
 1982年に当時の中国最高実力者、鄧小平氏が賓客との会談で初めて口にして注目されるようになった「一国二制度」だが、元々は台湾と統一を図りたい中国が、「武力による解放」から「平和的な交渉」に転換するひとつの手段としてのアイデアだった。それを香港返還やポルトガルからのマカオ返還に採用する試みだったとされる。

 筆者は1996年から香港特派員として駐在し、翌年の香港返還の瞬間を見届けることができた。今、このような事態になり、当時、自分が何を予測できたか、香港市民が何に関心を持ち将来にどんな期待をしていたか、振り返って考えることがある。

返還当時、「愛国」という言葉はなかった

 それらを丸めて言えば、「雑多」や「猥雑」といった言葉が似合う、心地よさと不安定、日本の秩序社会と比べれば「でたらめ」という特徴がこのまま続くのだろうか、世界にも珍しい存在が続けばいいのだが、ということだった。

 1989年の天安門事件に抗議する市民のデモが数十万人規模で起きる。書店には、虚実ないまぜになった北京中央政府批判の本や、誰が告白したのか分からない「暴露本」が並ぶ。親中派の新聞と香港紙があべこべのことを書いても不思議ではない。どう儲けているのか分からない人がリッチな生活をしている。香港政府や北京政府に誰が悪口を言おうが、とがめる人はいない。警察でさえ恐れる存在ではない――。

 これらの「猥雑さ」がずっと続くとは思っていない。ただ、中国に返還される日が近づくにつれ、香港市民の関心は、身体的な自由、言論の自由がこのまま続くのだろうか、という疑問に集約されていった。

返還を祝って沸きあがる人たち=1997年7月1日午前0時3分、香港・銅鑼湾
 しかしその時、「愛国心」「愛国者」という言葉は聞いたことがなかった。

 なぜなら、返還が嫌でカナダやアメリカに脱出する人たちは別として、香港が中国中央政府の支配下に入ること、それに納得すること自体が、ある意味「愛国心」の表れであり、仮に香港市民が今後、中央政府の政策を批判したとしても、長い目で見て中国を良くすることにつながる。香港から見て中国本土が「不自由」だったとしても、それを包含する中国全体の寛容さが中国の国際的地位の向上につながるという、中国当局と香港市民の「暗黙の了解」があったからだと理解していた。

 当時、確かに「愛国」と「一国二制度」は次元が違う問題のはずだった。

中国共産党の事情~「統治の安定」が主眼に

 ここに来て、中国政権が「愛国」の有無を選挙制度改変の口実にするようになったのは、いくつかの理由がある。何よりも、返還以来20余年の時の流れが、北京と香港の双方を変えてしまった面がある。

就任後、演説する習近平総書記=2012年11月15日、北京
 まず、中国共産党と中国全土の事情だ。中国共産党は、2000年代に入って特に「安定」を重視し始めた。

 それは治安の安定であり、領土と領海の安定であり、国際的立場の安定であったが、次第に「政治の安定」、つまり「中国共産党統治の安定」が前面に出てくるようになった。北朝鮮の核開発に厳しく向き合わなかったことや、チベット、新疆ウイグル自治区に対して、少数民族の自治を阻害し、忠誠を誓わせる政策にも「中華民族と中国共産党による政治的な安定」という装置が働いた。

 2012年末に習近平国家主席が講話で打ち出した「中国の夢」の中で、習氏は、「中華民族の偉大な復興を実現することが、中華民族が近代以来抱き続けてきた最も偉大な夢である」とし、中華人民共和国建国100年の2049年までに「美しい社会主義現代化強国」を築き上げることを目標として掲げた。2017年には党規約が修正され、毛沢東思想などと並んで習近平氏の思想が「核心」として権威づけられた。

香港返還20年を記念するパーティーでステージに上がり、愛国歌を合唱する中国の習近平国家主席(中央)=2017年6月30日、香港・湾仔
北京で会談した中国の習近平国家主席(右)と香港の林鄭月娥行政長官。習氏は民主化要求デモに対する香港警察の強制排除などを支持し、強硬路線の維持を明確にした=2019年12月16日、香港政府提供

経済面が変質・香港では民主化要求拡大

 経済的な面では、世界経済のハブとして、香港は返還当時、中国共産党政権にとっても世界のショーウィンドーとして必要な存在だったが、その後、中国自体の経済力が大きくなり、GDP(国内総生産)が2010年前後に日本を抜き世界第2の経済大国となった。中国内で、香港の相対的地位が低下していった。

 香港はといえば、特に若い世代が、「一国二制度」を一歩超えて、香港の独立を主張し始めた。2019年には大規模な民主化要求デモが起き、それを共産党政権は「反政府デモ」「国家転覆を計った」と断じる余地が生まれた。

「愛国」が「香港市民の資格」と表明

 今回の全人代に話を戻すと、中国の王毅外相は、全人代の開幕間もない2021年3月7日、記者会見でこう語っている。

「中国を愛するということがなければ、香港を愛するといっても意味がない」

 逆に言えば、中国共産党を愛することが香港を愛すると言える条件だという、愛国を「踏み絵」にした瞬間だった。返還時に香港市民が考えもしなかった「愛国」=「正当な香港市民の資格」という公式を露骨に作り上げた

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