メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

原発事故から10年、この国の2つの「病巣」を抉る(上)

「民意」を嫌う間接民主主義

今井 一 ジャーナリスト・[国民投票/住民投票]情報室事務局長

 3.11から10年ということで、この数週間、メディアは、夥しい人の命を奪ったあの大地震・大津波を振り返ったり、東京電力福島第一原発の事故の実態やその被災者、避難民が過ごした日々を伝えたりするさまざまな特集を組んでいる。時間と労力を費やした秀逸なものもあれば、そうとは言えないものもあったが、それとて無意味な記事や番組だったと否定する気はない。

 だが、原発設置に関して半世紀にわたりこの国が抱えている「病巣」を抉るものはなかった。特に、原発の受け入れや誘致・増設を進めた立地地域の首長や議員らが、正当な手続きの根拠としている「間接民主主義の在りよう」や(被災者でもある)立地地域の人々の「主権者としての責任」について触れる記事や番組は私の眼には留まらなかった。ここでは、その二つの問題に絞って論じたい。

「原発の問題は我々大都市に住む人間の問題」

原発候補地とされた「芦浜」原発候補地とされた「芦浜」

 1964年7月、中部電力は熊野灘に面した三重県南部の南島町と紀勢町にまたがる海岸の入り江「芦浜」を、原発建設の候補地にすることを決めた。それ以降、両町は37年にわたり揺れ続けるのだが、1995年11月、私は紀勢町内で住民投票条例の制定に関わった人々に会った後、「芦浜」に足を運んだ。その取材に一人の青年が同行していたのだが、大阪への帰途、彼は私にこう言った。

 「今井さんは、原発は立地先の問題だと思ってるようですが、それは違うんじゃないですか。原発は我々のような大都市に住む人間の問題ですよ」

 「目から鱗」だった。私はそれ以降ずっと「大都市住民の問題だ」という認識で原発と向き合ってきた。だからこそ、3.11の原発事故が起きた直後に、原発再稼働の是非を問う「大阪市民投票」、「東京都民投票」の実施(住民投票条例の制定)を求める直接請求運動を起こした。あのとき、私は大阪市で請求代表者の一人となり、「芦浜」に同行したあの青年・小林聖太郎(映画監督)は、宮台真司(大学教授)、千葉徹彌(ちばてつや・漫画家)らと共に東京での請求代表者となった。

 電力の大量消費地に住む人々が、福島や新潟や福井などの過疎地域に原発を押し付けてきた。そして東京都や大阪市は東電、関電の大株主。だから、再稼働を認めるか否かは立地自治体の首長や議員だけで決めるのではなく、東京、大阪などの大都市住民の意思も汲みとるべし。そして、その選択に伴う結果責任も都市住民が負う。こうした考え方で運動を進め、大阪は55,248筆、東京は323,076筆の連署(法定署名)を添えて翌2012年に直接請求を行なった。

 結局、当時の石原慎太郎知事、橋下徹市長は「原発・住民投票」に反対し、都議会、大阪市会とも条例制定を拒んだが、原発は立地自治体で暮らす人たちだけの問題ではなく、電力を大量消費しながらそれを押し付けている都市住民の問題でもあるということを訴え広めることは出来た。

原発再稼働の是非を問う「大阪市民投票」のチラシ原発再稼働の是非を問う「大阪市民投票」のチラシ
原発再稼働の是非を問う「東京都民投票」のチラシ原発再稼働の是非を問う「東京都民投票」のチラシ

「福島の人は反省しているのか」という批判

 とはいえ、3.11のあと、首都圏の住民のなかに「原発事故のせいで放射能がこっちにもやってきて迷惑を被っている」などと言って福島県民をなじる人がいた。原発を押し付けてきた都会の人間が福島の人を責めるなと憤っていた私だったが、東北電力の原発建設の是非を問う住民投票を実施したことで知られる新潟県の巻町(現・新潟市西蒲区)に住むYさんから、福島(原発立地地域)の人々を批判するこんな言葉を聞かされて戸惑った。

 福島の原発被災者が東電や政府にいろいろ抗議したり要求したりするのは、そりゃいいよ。だけど、カネ欲しさに進んで原発誘致をやって、増設のお願いまでしてきた自分たちの行いは反省しないのか。町長、議員だけじゃなくて町民もね。

 巻で東北電力の原発建設と闘ってきた俺たちは、地域で変人扱いされたりのけ者にされたりしたけど、福島で反原発をやってた人たちも同じ目に遭ってきたわけさ。で、その人たちが警告してきた原発事故で双葉や大熊があんなふうになってしまった。原発を進めてきた町長や町民は、国や電力に文句を言うだけじゃなくて自分の行いも反省しなさいよ。

 25年もの間、諦めることなく東北電力と闘い続け、しがらみの強い地域で仲間と共に町民の4割もの法定署名を集めて原発推進の町長をリコールした人だから言えることだ。確かに、双葉町や大熊町など原発立地自治体の首長、議員が進めてきた原発依存政治の責任は問われるべきだし、選挙で彼らを選んできた町民の責任も免れない。主権者なのだから。

「原発依存症」への流れは、どこも同じ

 海沿いの過疎地域が原発を受け入れたり、誘致したり、増設を求めたりした理由は、大熊、双葉、大飯、高浜、柏崎刈羽……どの地域もだいたいは同じだ。

 原発設置によって地域の活性化を図るといった謳い文句で原発を誘致する。それによって国から町に多額の交付金が下りるし、電力会社の社員や下請けの作業員を当て込んだ宿や食堂、スナック等々が新規に開業されて繁盛したり、一定数の町民が東電やその関連企業に雇われるなどしたりして、個々の町民の所得が一時的に増える。だが、有力な産業は生まれないし、何年かすると町の財政は先細りとなる。なので、地域振興策としての「ポスト原発」を模索するのだが、結局、「ポスト原発」のポストは「原発の増設」だった。

 こうした依存症は、福島県双葉郡のみならず福井県大飯郡など、各地の原発立地地域に共通するものだが、それを発症する病源は、立地地域が電源3法などに則って国から受け取る莫大な交付金や、電力会社が「漁業補償」や「協力金」といった名目で個人や団体にばら撒く原発マネーにほかならない。そして、その交付金や補償金・協力金の原資は、納税者であり電力のユーザーでもある我々が納めた金なのだ。

 自治体住民の1割にも満たない地権者と漁協の組合員が、電力会社が支払う数百万円から数億円の大金を受け取ることを条件に原発建設に同意し、その他の住民も「原発で客が増える、仕事を得られる」ということで建設を容認。そして、そういう人たちが原発推進の首長や議員を選んで、原発との「共存共栄体制」を維持し、数十年のうちに原発は次々と設置・増設されていった。

 そのなかには、電力会社側が企てて立地地域の自治体や住民にあの手この手で働きかけた場合もあれば、立地地域側の強い要望に電力会社が応えたところもある。どちらが強く求めたにせよ、原発の建設、増設や再稼働(3.11後)を行うためには「地元同意」なるものが必要で、これさえ得られれば、電力会社は堂々と事を進めることができる。

 二元代表制をとっている自治体政治において「首長」「議会」の両方が同意するのだから民主主義に適っている。東電や関電、そして地域の政治的ボスたちはそう言い張ってきた。だが、地元とはどの自治体、どの範囲を指すのか。何をもって地元の住民(主権者)が同意したとするのかについては、さまざまな意見がある。

「地元同意」なるものへの疑義

 そもそも「地元同意」に関する法令上の規定はない。にもかかわらず、この半世紀、原発設置や原発増設に関しては、立地先の自治体(県と立地市町村)の首長・議会が了解すれば、それをもって「地元同意」を得たと政府や電力会社は言ってきた。

 そして、3.11の原発事故後もこの「通例」は何も変わっておらず、2015年8月11日以降、鹿児島県の川内原発(1・2号機)、佐賀県の玄海原発(3・4号機)、愛媛県の伊方原発3号機、福井県の大飯原発(3・4号機)、高浜原発(3・4号機)の5原発9基が、「地元同意」を得て再稼働を果たした。

 例えば、大飯原発の場合は、14人の議員から成るおおい町議会と町長が同意し、さらに福井県議会と福井県知事が同意すれば「地元同意」を得たとされる。だが、この「地元同意」には二つの点で疑義

・・・ログインして読む
(残り:約2629文字/本文:約5914文字)