武士の父親が子連れで奉行所に出勤~国を滅亡から救う子育てのヒントがここに
国を愛する人は最も大事なものが子どもたちであることを知っている
円より子 元参議院議員、女性のための政治スクール校長
天保10年、西暦1839年、桑名の藩士が新潟の柏崎に転勤となりました。彼は父母に長男を預けて、妻と赴任しました。
赴任先の柏崎では、次々と子どもが産まれ、祖父母の支援がない中で、今でいう核家族の出産子育てに奮戦し、その様子を桑名にいる家長の父親に知らせる。一方、父親は息子に、桑名でのその後、特に孫息子の成長ぶりを伝える。その往復書簡が『桑柏日記』として残っています。
江戸時代の武士の子育て
お産の時は、破水を知らされた彼が慌てて産婆を呼び、湯の用意をする。医者が必要になれば手配し、祝いの来客の応対にもあたる。産婦の床上げまでは、妻の食べ物を用意し、3番目、4番目の子どもが産まれる時は、もちろん子どもたちの食事一切の世話もしています。さらに、おむつの交換、添い寝、入浴、遊び相手、学問の手ほどきも。これらは妻が産褥から復帰した後も続けています。
面白いのは、幼い子どもたちを勤務先に連れて行っていることです。
彼は奉行所に勤める武士です。子どもたちは、父親が盗賊の吟味をしているのを、控え室の障子に穴を開けて、姉弟そろって覗いたりする。そして、帰宅してから父親に、おとっさんに叱られていたけど、泥棒は笑ってたよ、なんて言ったりしている。
父親と子どもの関係も和やかなら、奉行所も、子連れ禁止なんて野暮なことは言わない。妻が病気のときは、奉行所の夜勤にも子どもを連れて行き、添い寝して昔語りをして寝かせたり、夜中に手洗いに連れていったり、それは面倒見のいい父親です。
妻の出産や病気の場合だけでなく、子どもの祝いの日などにも早退や休みをよく取っている。役所のほうもそれが当たり前と思っていたようです。

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