プロフェッショナルによる本来の姿を取り戻すために
2021年03月26日
日本のジャーナリズムの在り方については、外務省時代も退官後も問題意識を持ち続けてきた。外交官は職業柄、外国ジャーナリストとの接点も多く、欧米のジャーナリストの方が自由で独立していることをよく感じてきた。
このような順位を鵜呑みにするつもりもないが、何より不思議であるのは、この10年近くの間、ジャーナリズムの在り方について新聞界や知識人の間で様々な議論が行われたと思われるが、目に見える成果が表れていない。
報道の自由は民主主義の必須の要素であり、このような低い評価を受け続けてはならず、改革すべきは改革していかないといけない。
何時まで経っても変わらない日本の特色の一つは「記者クラブ制」だ。
確かに各省庁や県庁、日銀、或いは企業から情報提供を受ける場としての記者クラブは有用なのだろう。しかし、政府の中にいて常日頃感じていたのは、政府からの一方的な情報に頼りすぎると政府側から見た情報操作が比較的容易になってしまうことだ。
記者に対してブリーフィングを長年行ってきた経験から言うと、官僚が真実を捻じ曲げて伝えることはもちろん論外だが、批判的に書かれないようにメリハリをつけてブリーフィングする傾向は強い。
外交報道は外務省の記者クラブ(霞クラブ)記者が書くといった縦割り意識が強いからか、外国を含め多面的な情報源から真実を探る調査報道とはなりにくい。
「公正な報道」を行うためには記者もプロフェッショナルでなければならない。しかし「記者クラブ制」のもと、1-2年ごとに替わっていく記者も多く、記者が専門性を身に着ける訓練がされているのか疑問に思う場合も多い。
日本とは異なり、欧米の記者の場合、長年の経験を有したエキスパートであるがゆえに自分たちの価値判断の基準を明確にもち、常に「批判的目線」を持っている。そのため彼らに政府が思った通りの記事を書かせるのは、難しい。
ホワイトハウスなどの記者会見を見慣れていると、日本の官邸での記者会見はあまりに形式的で、記者の追及も不十分なことに強い違和感を持つのは私だけではないだろう。
プロフェッショナルによる「公正な報道」を妨げているもう一つの要素は、昔でいう派閥番の政治記者の存在だ。
政府取材でいえば政治記者の関心は政局であり、政局以外はない。政局を正確にフォローするためには日常的に政権幹部や有力な政治家と親しい関係を維持していることが求められるのだろう。そして時に「特ダネ」をもらい、時に政治家の栄進にとって有利な記事を書く、といったギブ・アンド・テイクの関係が重要と思われている節がある。
メディアは「第4の権力」として権力の不正に目を光らせる使命を持つので、本来、権力に対してどういう距離をとり、どういう姿勢で臨むのかは機微な課題であるはずだ。
ところが、日本のメディア関係者やジャーナリストが総理と会食をし、堂々と「権力に近い」ことを平気な顔で喧伝しているのには、大きな違和感を持つ。最近のNTTや東北新社が大臣や高級官僚と少人数でひそかに会食していたことに批判が集中したのは、行政の衡平性に不信を与えるからではないのか。
他方、報道の主体は、新聞やテレビからネットニュースさらにはTwitterやFacebookなどSNSに移りつつある。事実の報道は迅速性が求められるが、SNSでは瞬時に何十万という人にコメントが伝わる。
新聞やテレビがネットと差別化していくためには、報道記者が独自の深堀りした報道を行うことが求められるように思うが、そうした記者のコラムが増えつつありながらも、情報源を政府に依存している面が強い。批判的な目線で捉え、立体的に取材し調査がされているのか。
テレビについてはワイドショー的報道番組でも「視聴率がとれる」ことが主眼となっているようで、タレントが司会やコメンテーターとなることが常態化している。タレントが内容を十分承知しているわけではないので表面的なコメントはメディアのオピニオンリーダーとしての役割を著しく損ねている。世論形成も国民目線で、ということなのか。
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