メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

熊谷俊人・新千葉県知事の100万票差の圧勝から立憲民主党が学ぶべきこと

敵を叩いて自己の正当化する「否定的命題」か、自己の政策で信を問う「肯定的命題」か

曽我豪 朝日新聞編集委員(政治担当)

昨年3月のインタビューでの熊谷氏の発言

 ちょうど1年前の3月、熊谷氏にインタビューしてこの欄で紹介した。(「新型コロナ対応をツイッターで発信。熊谷千葉市長のつぶやきの本意」

 当時の安倍晋三政権はコロナ禍への対応で混乱を続け、とりわけ小中学校の一斉休校を表明した拙速さが批判を浴びていた。熊谷氏もその批判の急先鋒ではあったが、実際に話を聞くと、彼の真意はメディアがことさらに取り上げた安倍政権糾弾とは別のところにあった。

 熊谷氏は「最終の意思決定を官邸がするのは当然ですが、それはあくまで各省庁から情報と課題が十分に集まった結果でなければなりません。その吸い上げが不十分だと情報のないまま判断することになり、官邸主導の良さが生かされません」と指摘したうえで、「今後も新たな課題が次々と生じるでしょうが、現場の声を政府の意思決定にいかしてほしいと願います」と期待を語った。

 もとよりインタビュー前にツイッターで、「私は特定政党に与する気もありませんし、安倍総理が辞めるべきとかそういう次元の話ではなく、みんなで前を向きながら、それぞれの立場で問題点の指摘と提言を重ねた方が難局は乗り切れると考えます」と発信した熊谷氏だ。自分の発言が政局上の党派的な対決構図によって矮小化されるのを避けたいという思いと、政府と自治体が敵対でなく連携の関係を維持・改善していくべきだとの思いの二つが濃厚にあった。

圧勝は実績や政策で信を問う「肯定的命題」の結果

 千葉県知事選での発言もその延長線上にある。

 公式Webサイトの「知事選へ出馬表明にあたり」と題した文書にも、告示後の第一声にも、森田前県政や菅政権・自民党への批判は見当たらず、代わりに自らの市長時代の実績と具体的な公約を訴える姿勢で一貫している。

 「出馬表明にあたり」では「31歳の若さで政令市の市長経験を得ることは普通はなく、この貴重な経験を当たり前のものと考えず、社会に還元しなければならないと長年考えてきました」と県政への転身を目指した理由を説明した。10項目の公約を挙げたが、それも「アクアライン800円の維持・恒久化」など前県政から継承するものと、「AI時代、コロナ禍も見据えた千葉県の教育の充実」「行政のデジタル化を推進し、県民に時間を返す行政改革の徹底」といった新たに加えるものとでバランスをとる意識が鮮明だった。

 第一声は一昨年の房総半島台風の被災地で行い、「自らの被災経験、これまでの危機管理経験から災害に強い千葉県づくりをしていく」と訴えた。それに先立つ出陣式には、支援する立憲民主党の野田佳彦元首相ら国会議員の姿もあったが、公明党の富田茂之衆院議員は「(知事選は)与野党対決ではない」と訴え、熊谷氏も「千葉県のことを考える選挙だ」と強調した。

 こうしてみてくれば、熊谷氏の百万票差の圧勝は、既存の権力を認めるか否かといった対決構図の結果ではなかったことがわかる。それどころか、逆にあえてその構図を避けた訴えの姿勢が、自民党支持層を含めた広範な有権者の投票を促したのではないか。

 敵対勢力を叩いて自己の正当性を示そうとする「否定的命題」でなく、あくまで自己の実績や政策により信を問う「肯定的命題」の確かさが勝因だとすれば、その変化こそ注目されるべきだろう。

拡大当選から一夜明け、取材に応じる熊谷俊人氏=2021年3月22日、千葉市中央区

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

曽我豪

曽我豪(そが・たけし) 朝日新聞編集委員(政治担当)

1962年生まれ。三重県出身。1985年、東大法卒、朝日新聞入社。熊本支局、西部本社社会部を経て89年政治部。総理番、平河ク・梶山幹事長番、野党ク・民社党担当、文部、建設・国土、労働省など担当。94年、週刊朝日。 オウム事件、阪神大震災、など。テリー伊藤氏の架空政治小説を担当(後に「永田町風雲録」として出版)。97年、政治部 金融国会で「政策新人類」を造語。2000年、月刊誌「論座」副編集長。01年 政治部 小泉政権誕生に遭遇。05年、政治部デスク。07年、編集局編集委員(政治担当)。11年、政治部長。14年、編集委員(政治担当)。15年 東大客員教授

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

曽我豪の記事

もっと見る