「主権者のいない国」の空虚はもうこれ以上隠せない
2021年04月01日
3月25日、東京五輪の聖火リレーが福島県から始まった。
SNSを通じて流れてきたリレーの模様を伝える映像は、なかなかに驚くべきものだった。スポンサーロゴがデカデカと書かれた改造大型トラックが何台もゆっくりと走ってくる。
先頭を走るのはコカ・コーラの車両だ。ステージのような形状をした荷台にDJと思しき男が立ち、何事かを叫んでいる。「密を避けながら、密を避けながら! 共に最高の思い出をつくっていきましょう!」と叫んでいるように聞こえた。同時に、大音量の音楽がかかっており、キャンペーンガール(?)のようなスポンサー・ユニフォーム姿の若い女性たちが笑顔を振りまきながら手を振りつつ練り歩いている様子も見えた。視覚的にも聴覚的にもその騒々しさは度を越している。
目撃した「東京新聞」の記者は、沿道の地元民の次のような声を伝えている。「これはちょっと違うんでねえか」。
聖火リレーの映像から伝わってくる異様さは、「ちょっと違う」どころのものではない、と私には感じられた。それが異様なのは、「楽しい雰囲気の演出」が、事実上の命令と化しているからだ。「楽しいでしょう? 貴方は楽しんでいいんですよ! 楽しみなさい!! 貴様、楽しめよ!!!」。
確かに、コカ・コーラの容器には、Enjoyと書いてある。「お前は楽しまなければならない」――奇妙で不気味な命令だ。もし命令に従わなければ、罰が待っているのだろう。「あいつはKYだ」とレッテルを貼られるという罰が。
いや、たぶん、レッテルは「KY」どころでは済むまい。この場合の「楽しめ」という命令に暗に含まれているのは、「お前は福島が復興したと思わないのか?」「人類が新型コロナに打ち克った証を信じないのか?」という脅迫的な問いだ。
こうした問いに「イエス」と答えられない人間に宛てられる由緒正しき名称がある。「非国民」だ。ただし、今日のナショナリズムは、軍国主義のかたちを必ずしも採らない。むしろ、そう見られることを周到に避けようとすらする。
軍国主義の代わりに、それは商業主義との結びつきを固くする。その結果が、反知性主義の極みであることを、聖火リレーの光景はこの上なく明瞭に示している。「楽しめよ! 乗れよ! そうしない奴は非国民だ! 思考停止しろ! バカになれ! 醜くなれ! そうならない奴は非国民だ!」
東京五輪2020におけるこうした惨状をもたらしたメディアの責任について問いたい。マスメディアの権力への迎合・劣化とマスコミ企業の経営危機の深刻化は、すでに長い間叫ばれている。7~8割の国民が愛想を尽かしてきているこの醜怪な祭典もどきをマスメディアがいまだに正面から批判できないのだとすれば、それは、五輪報道で怯懦と迷妄をさらけ出したことによって、いよいよ「無用」の烙印を購読者たちから押されるかもしれないし、そうなるべきなのである。
新型コロナ・パンデミックの収束目途が立たないなかで、本年7月23日に東京で五輪が開催できるという筋書きが実現困難であることは、誰の目にも明らかだ。主催者・政府は、すでに外国からの観客の来場を諦めた。これは、五輪に関連したインバウンドへの期待が消滅したことを意味する。
しかし、大会開催の困難さが増すなかで、予算だけは順調に肥大化を続けた。昨年12月22日には、大会組織委員会は追加経費を含む最新の予算見積もりを発表し、総額は1.64兆円という数字が出てきた。だが、この巨大な数字すらもまやかしにすぎず、別枠の予算、関連経費などを含めると、東京五輪に投じられるカネは計3兆円以上だと言われている。巷ではコロナ危機による失業者が増え、コロナ治療のために心身をすり減らしている医療従事者たちがボーナスカットに遭っている真っ最中にこんな数字が語られている光景は、まったくもって異様と言うほかない。ゆえに、国民の五輪への感情は、
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