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少数派の鳩山一郎はなぜ「一強」吉田茂を倒して政権交代を成し遂げられたのか

「大異を捨てて小同につけ」という歴史の教訓~『鳩山一郎とその時代』に学ぶ

小宮京 青山学院大学文学部教授

拡大増田弘・中島政希監修『鳩山一郎とその時代』(平凡社、2021年)
 先日、増田弘・中島政希監修『鳩山一郎とその時代』(平凡社、2021年)が刊行された。 戦前戦後を通じた政党政治家である鳩山一郎に関しては、鳩山の後半生の政敵であった吉田茂に比べると、知名度の割に研究が少ない。そうした状況を打開するために、複数の研究者が集まり、戦前の鳩山一郎、戦後の公職追放の経緯、戦後の鳩山一郎、一郎の妻である薫の役割、鳩山一郎の系譜が戦後政治史にいかなる影響を与えたのかといった様々な面から考察した本である。

 この本の中で、筆者は公職追放が解除されて、政権を担い、総辞職するまでを担当した(第3章)。関連して、鳩山が入会したフリーメイソンとの関係にも言及した(参照:「日本のフリーメイソンのこと知ってますか?(上)」 
「日本のフリーメイソンのこと知ってますか?(下)」 )。

山あり谷ありの政治人生

 戦後の鳩山一郎の政治人生は山あり谷ありだ。戦争が終わって早々、自由党を結成、最初の総選挙で第一党となったにもかかわらず、首相就任の当日に公職追放の憂き目にあう。鳩山追放はGHQの強い意向だったことが指摘される(『鳩山一郎とその時代』第2章)。

 1952年に占領が終わった後、衆議院議員として政界復帰、吉田茂との権力闘争の紆余曲折を経て1954年、首相に就任した。自由民主党(1955年結党)の初代総裁、日ソ国交回復を成し遂げた総理大臣として、戦後政治史にその足跡を残している。

 サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立した当時は、いうなれば「吉田一強」の時代であった。吉田茂率いる与党は圧倒的な議席数を持ち、対峙する野党はバラバラに分裂していた。そうした状況下で、鳩山はいかにして政権を獲得したのか、政権交代はいかにして成し遂げられたのか、歴史を遡ってみたい。

拡大新首相に決まり喜ぶ鳩山一郎民主党総裁=1954年12月9日、東京都千代田区永田町


筆者

小宮京

小宮京(こみや・ひとし) 青山学院大学文学部教授

東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門は日本現代史・政治学。桃山学院大学法学部准教授等を経て現職。著書に『自由民主党の誕生 総裁公選と組織政党論』(木鐸社)、『自民党政治の源流 事前審査制の史的検証』(共著、吉田書店)『山川健次郎日記』(共編著、芙蓉書房出版)、『河井弥八日記 戦後篇1-3』(同、信山社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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