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沖縄・西表島の炭坑に眠る台湾の記憶~黄インイク氏の最新映画『緑の牢獄』

騙されて島にやって来た橋間おばあ、台湾人坑夫は何を思って生きていたか

佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

拡大橋間良子(台湾名・江氏緞=ガン・シードゥアン)さん

 「西表島」と言えば、人は何を思い浮かべるだろうか。西表島だけに生息する絶滅危惧種のイリオモテヤマネコだろうか。島中に鬱蒼と生い茂るマングローブ林だろうか。

 西表島は日本最西端に位置する八重山諸島のうちのひとつで、沖縄本島から南西に約400キロの海上に浮かぶ。すぐ西の「国境の島」与那国島の先に横たわる台湾までには約200キロの距離しかない。当然ながら、古来台湾との往来、交流は多い。

知られざる西表島の台湾人坑夫の痕跡を追う

 しかし、この西表島の地層には豊富な石炭の鉱脈が存在し、戦争に突入していった戦前、日本が多くの台湾人坑夫を過酷な労働条件下で酷使していたことはほとんど知られていない。

 国際的に注目されている台湾のドキュメンタリー映像作家、黄インイク氏の最新作映画『緑の牢獄』は、歴史の闇に埋もれたこの台湾人坑夫たちの痕跡を、7年の月日をかけて追ったものだ。

 黄氏とそのチームは、様々な映像記録や音声記録、書籍などを調べ上げ、その記録群の上に炭坑の生き証人である台湾人坑夫の娘を登場させた。娘は、両親が亡くなり夫が亡くなった後も西表島に一人で住み続け、訪ねてきた黄氏と面会した時は88歳。その後92歳で亡くなるまで黄氏のインタビューを受け続けた。

「おばあ」の姿を撮り続けたカメラ

 黄氏チームのカメラは、インタビューを受けている間も、そうでない間も、日本名・橋間良子(台湾名・江氏緞=ガン・シードゥアン)さんの姿を追い続けた。

 黄氏が親密感を込めて「おばあ」と呼ぶ橋間さんは、台所に据えたカメラの前で子ども時代のことや娘時代、両親のことを語り、買い物に出かけ、下宿人にもらったタケノコを煮て海を眺め、横になって小さいテレビの画面を見る。

 テレビはバラエティ番組を流して都会に住む日本人の日常生活を映し、橋間おばあは静かな寝息をたてて眠り込む。夢の中では、子ども時代にそのまま台湾に留まっていれば送っていたかもしれない「もうひとつの人生」を味わっているのだろうか。

 橋間おばあの両親は実の両親ではない。戦前の台湾ではよくあったことだが、10代の子どものころに嫁入りの家に入り、将来の夫と兄妹のように育てられた。婚期を迎えたある日を境に兄妹は夫婦となる。

 養父は「斤先人」(きんさきにん)と呼ばれる坑夫たちの親方で、西表島における炭坑日本企業と台湾人坑夫たちとの仲介役をしていた。

拡大楊添福。橋間おばあの養父。戦後、台湾には長くは帰らなかった。台湾人坑夫と炭坑会社をつなぐ「斤先人」という立場が微妙に作用したのかもしれない。


筆者

佐藤章

佐藤章(さとう・あきら) ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長

ジャーナリスト学校主任研究員を最後に朝日新聞社を退職。朝日新聞社では、東京・大阪経済部、AERA編集部、週刊朝日編集部など。退職後、慶應義塾大学非常勤講師(ジャーナリズム専攻)、五月書房新社取締役・編集委員会委員長。最近著に『職業政治家 小沢一郎』(朝日新聞出版)。その他の著書に『ドキュメント金融破綻』(岩波書店)、『関西国際空港』(中公新書)、『ドストエフスキーの黙示録』(朝日新聞社)など多数。共著に『新聞と戦争』(朝日新聞社)、『圧倒的! リベラリズム宣言』(五月書房新社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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