沖縄・西表島の炭坑に眠る台湾の記憶~黄インイク氏の最新映画『緑の牢獄』
騙されて島にやって来た橋間おばあ、台湾人坑夫は何を思って生きていたか
佐藤章 ジャーナリスト 元朝日新聞記者 五月書房新社編集委員会委員長
おとなに10代の自分の人生を決められて
「いわば馬鹿だ。親の言うことだけ聞いて」
ゆっくりとしたテンポで進んできた映画はなかばあたりで、急に大きくなった橋間おばあの声に中断される。その声の響きは怒りと驚きを含み込み、実の父親や養父の言うことだけを信じて西表島にやって来た自分自身への憤りの感情を感じさせる。
映画は、橋間おばあの人生が幸福だったのか不孝だったのかを問うているのではない。
おとなになるまで兄だった橋間おばあの夫は早いうちに亡くなり、その後女手一つで育て上げた子どもたちは、島から出て行ったきり帰って来なくなってしまった。その家族環境からすれば、橋間おばあは人生の運に恵まれていたとは言えない。
しかし、橋間おばあが悔やんでいるのは、そのような特異な家族環境の不運だけではなく、実の父親と養父というおとなによって10代の少女だった自分の人生の航路が決められ、西表島という小さい「緑の牢獄」に生涯閉じ込められることになった、その不運そのものなのだ。

カメラは橋間おばあの暮らしを追い続ける。戦前、戦中、島に暮らしていた台湾人坑夫たちの唯一の関係者。沈黙の中にも語るものがある。
「潜在意識の中」「記憶の暗がり」に踏み込む
ドキュメンタリー映画『緑の牢獄』の監督である黄氏は、映画製作終了後
『緑の牢獄――沖縄西表炭坑に眠る台湾の記憶』(五月書房新社)という本を書いている。7年に渡る映画の製作過程や、ドキュメンタリー映画を製作する際の黄氏自身の思想を語ったものだ。
それによると、黄氏が橋間おばあの「潜在意識の中」「記憶の暗がり」に踏み込んでいったのは、インタビューを開始して2年が経った時点だった。
歴史の闇に埋もれた西表島の台湾人坑夫たちの世界に直接つながりを持つほとんど唯一の生き証人、橋間おばあの「記憶の暗がり」。それは、旧大日本帝国の植民地経営や台湾人坑夫たちの過酷な労働実態を赤裸々に暴くというようなものではない。
黄氏の製作チームは、橋間おばあへのインタビューを続けるとともに、西表島の炭坑と深い関連を持つ台湾北部の炭坑や九州の炭坑、「端島炭坑」(通称「軍艦島」)などへの取材旅行を積み重ねた。
なぜ来たのか、どう暮らし、何を思ったか
軍艦島の巨大な廃墟に圧倒されながら、この炭坑跡をめぐる日韓両国の軋轢(あつれき)を考える。映画『緑の牢獄』には、これらの取材や考えた末の論考などは直接は出てこない。
黄氏が『緑の牢獄』で表現しているものは、戦前日本の台湾人坑夫に対する過酷な扱いへの追及ではなく、台湾人坑夫たちはなぜ西表島の炭坑にやって来たのか、台湾人坑夫たちは西表島でどのように暮らし、何を思って生きていたのかという問題だ。
映画の後半部分に入ると、若い台湾人俳優や日本人俳優を使った再現フィルム部分が映される。
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