黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官
1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
連載・失敗だらけの役人人生⑰ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓
2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。
職業人にはP・K・Oの三要素が大切だと思っています。Pは「プロフェッショナリズム」です。Kは、責任を負う「覚悟」、逃げない「気概」、さらには喧嘩も辞さない「心意気」で、いずれにしても「K」です。最後のOは「思いやり」です。
「課題」を認識し、解決策を「検討」し、「結論」を得て望ましい結果を出すのが我々の仕事だということは既に述べました。行政のプロになるということは、担当分野に関する専門性を身につけて、この3Kの過程をきちんとこなして望ましい結果を出せるようになることです。そのために必要なことが二つあるということも既に防衛政策編で述べました。勉強して知識を身につけることと、実務の経験を積み重ねることです。
役所では、キャリアアップするにつれて、知識や経験のインプットとアウトプットの比重や内容が変化して行きます。一年生、二年生の係員の頃は、知識も経験もほぼインプット中心です。私は入庁してすぐに陸上自衛隊の防衛力整備計画の策定を補佐するポストに配置され、陸上幕僚監部(通称「陸幕」。陸上自衛隊を管理する制服組の組織=編集部注)に日参して、陸自の編成、装備、運用などのイロハから教えて頂きました。二年目の秋からは官房に勤務し、国会対応や法令・文書審査などを担当し、自衛隊関係の法律や政令の勉強に明け暮れました。
その後、主任、係長、部員(他の省庁でいえば課長補佐=編集部注)と昇任して行くにつれて、インプットと同時にそれまでに培ったものをアウトプットする場面が出てきます。この時期には法令立案の「修羅場」における内閣法制局との集中的な議論や、各幕との議論・調整、安全保障政策を巡る外務省との議論、防衛力整備に関する大蔵省との議論などを経験しました。より高度な知識のインプットと政策立案という形でのアウトプット、両方の機会が増えたという印象です。先任部員(課のナンバー2=編集部注)になると課の組織管理も担当するので、政策立案のみならず、それまでに自分が蓄えた人間関係についてのスキルもアウトプットする機会が増えました。
さらに進んで課長になると、責任はより重くなり、部員の頃とは違った視点から様々な事を学ぶ機会を得るようになりました。この頃には、行政府内の議論・調整のみならず、法案を巡る与野党との議論・調整などに主体的に関わる場面も増えました。局の筆頭課長は、こうした仕事に加え、局全体のマネージメントを行うことも必要でした。
いわゆる中二階の審議官や地方防衛局長になるとインプットの機会も増えるはずなのですが、私が経験した国会担当審議官や防衛政策局次長は相対的にアウトプット中心だったような気がします。局長以上のポストでは、それまでに培ったプロとしての自分のスキルをもっぱらアウトプットしていました。
このようなサイクルを意識したのは、文書課長や審議官として国会対応を担当するようになった頃でした。何となく「今の自分は過去に蓄積したものをアウトプットしているだけで、新たなものをインプットする機会が乏しくなっているのではないか」と感じるようになったのです。このため、先輩に紹介された部外の勉強会に積極的に顔を出したり、防衛省の情報本部から提供される分析資料を丁寧に読んだりするようになりました。もともと休日出勤の多い職場ですが、何もない週末でもオフィスに行って一人で資料を読むことが習慣化しました。この習慣は、次官を辞するまで続きました。
私は要領の悪い人間なので、プロになるための近道はなく、基礎勉強と実務経験を地道に積み重ねるしかないと感じています。職業人としての人生を歩む人たちには、勉強する手間をいとわず、新たな経験を積むことをためらわず、プロにふさわしい専門性を身につけて、「この分野については自分が一番詳しいんだ」というくらいの自信を持って仕事に取り組めるようになってほしいと思います。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?