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グローバルダイニングのコロナ訴訟で我々が闘うのは「あいまいな日本」だ

4人のナビゲーターでたどるこの国特有の「あいまいさ」の本質と問題

倉持麟太郎 弁護士(弁護士法人Next代表)

 さる3月22日、私はグローバルダイニングの代理人(弁護団長)として、東京都が発出した営業時間短縮命令とその根拠となるコロナ特措法が違憲・違法であるという訴訟を提起しました。

 そこで本稿では、私たちが一体何と闘おうとしているかを、いわゆる法的論点とは違った切り口で論じたいと思います。なぜなら、訴訟の場で法的言語に翻訳される「主張」や「立証」だけでは、この訴訟で我々が闘おうとしているもののほんの一部だけしか捉えられないからです。

東京都を提訴したグローバルダイニングの長谷川耕造社長(左から2人目)と弁護団。右端が筆者=2021年3月19日、東京・渋谷

ナビゲーターは4人、キーワードは「あいまいさ」

 本稿には、4人のナビゲーターに登場してもらいます。いずれも日本を代表する作家である、夏目漱石、川端康成、三島由紀夫、そして大江健三郎の4人です。キーワードは「あいまいさ」です。

 私は、戦後の日本では この国特有の「あいまいさ」が、社会に本当の意味での民主主義と法の支配を定着させることを拒んできたと考えています。そして、今次のコロナ禍における、国会やジャーナリズムの議論の説得力なき脆弱さ、また政府の各種措置における法の根拠の薄弱さから生じる危うさは、まさしく「あいまいな日本」の可視化に他なりません。

 こうした状況を、私は良しとはしません。日本社会と私たち日本社会に生きる市民は、岐路に立たされているのです。そして、それこそが上記の提訴に踏み切った大きな背景です。

「美しい」日本のわたしと「あいまいな」日本のわたし

ノーベル賞記念講演の原稿を見ながら、ゆかり夫人を相手に英語の発音などをチェックする大江健三郎氏。大江さんは「あいまいな日本の私」と題してストックホルムのスウェーデンアカデミーで講演を行った=1994年12月7日、スウェーデン・ストックホルム

 「あいまいさ」の最初のナビゲーターとして、1994年に日本人として2人目のノーベル文学賞を受賞した大江健三郎に登場してもらいましょう。

 彼はスウェーデンで開かれた授賞式で、日本人と日本社会の本質を捉えるスピーチをしました。タイトルは「あいまいな日本の私」。このスピーチで大江は、約30年前に同じスウェーデンの地で殊勲された日本人文学者に言及します。川端康成。二人目のナビゲーターです。

ノーベル文学賞を受賞した作家の川端康成さん=1968年10月1日、神奈川県鎌倉市
 川端は1968年、ノーベル文学賞を受賞し、その授賞演説で「美しい日本の私」と題する講演を、“現代の私たちが聞いても難解な日本語で”行いました。川端は、道元や明恵といった古(いにしえ)の禅僧らが、月や雪といった自然を「友」のように思いやる、言葉にし難い心情と神秘体験を、「日本人の心の歌」として紹介します。

 大江はこの演説を引き、川端が「美しい日本の私」を導き出すのに、禅僧が歌によってしか表現できなかった「共有不能」で「内向き」な神秘体験をもってしか表現できなかった点で、外界との接続をシャットアウトしていると評論します。まるで“鎖国”のように、徹底的に「閉じる」ことで、「美しい日本のわたし」を導いているというのです。

「苦しい日本の私」と「上滑りに滑る」日本人

 スウェーデンでの演説の少し前、別の演説(1993年ニューヨーク・パブリックライブラリーでのスピーチ)で、大江は「あいまいな日本の私」を語るために、夏目漱石を“召喚”しています。彼が3人目のナビゲーターです。

 漱石は、「明治の開国=近代化」によって流れ込んできた西欧個人主義に動揺する日本人としての個人、大江の言葉を借りれば「苦しい日本の私」を、その登場人物と自己内対話しながら描きました。そこで描かれる人間観は、J・P・サルトルが「人間は自由という刑に処されている」と喝破し、E・フロムが「自由からの逃走」で論じようとした人間観に通じます。

 漱石は、日本の近代化、すなわち「開化」の“上滑り”について、独特の語り口で論じています。

 「西洋の開化(すなわち一般の開化)は内発的であって、日本の現代の開化は外発的である。……一言にしていえば開化の推移はどうしても内発的でなければ嘘だと申上げたいのであります。」(中略)
 「ところが日本の現代の開化を支配している波は西洋の潮流でその波を渡る日本人は西洋人でないのだから、新らしい波が寄せる度に自分がその中で食客(いそうろう)をして気兼をしているような気持ちになる。……こういう開化の影響を受ける国民はどこか空虚の感がなければなりません。またどこかに不満と不安の念を懐かなければなりません。それをあたかもこの開化が内発的ででもあるかのごとき顔をして得意でいる人のあるのは宜しくない。……虚偽でもある。軽薄でもある。」
 「これを一言にしていえば現代日本の開化を皮相上滑りの開化であるという事に帰着するのである」

 それでも漱石は、開化を拒絶するのではなく、「涙を呑んで上滑りに滑っていかなければならない」と、ユーモアたっぷりに論じるのです。(『現代日本の開化』明治44年)

 漱石は日本の近代化が「上滑り」であり、日本の悲観的な先行きへの打開策として名案はないとしたうえで、「内発的であるかのごとき顔をして得意でいる」ことや、「戦争以後一等国になったんだという高慢」について、極めて批判的に論じています。今から100年以上も前 1911年での指摘は、現代日本の市民社会や左右の言論空間にとっても、十分過ぎるほどに示唆的です。

個人の「開化」が国の開化

夏目漱石肖像(1912年、神奈川近代文学館蔵)
 漱石は、ロンドン留学を経て、「西洋人のいう事だといえば何でも蚊でも盲従して威張った」時代に、「西洋人がこれは立派な詩だとか、口調が大変好いとかいっても、……私にそう思えなければ、到底受売をすべきものではないのです。私が独立した一個の日本人であって、決して英国人の奴婢ではない以上はこれくらいの見識は国民の一員として具えていなければならない上に、世界に共通な正直という徳義を重んずる点から見ても、私は私の意見を曲げてはならないのです」として、上に見た、「内発的」な開化を自己の中で達成しようとしています。

 このことを漱石は、「私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴橋をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです」と表現します(『私の個人主義』大正3年)。

 漱石は、この学習院での講演で、どんな犠牲を払っても、悩んでいるなら鉱脈に「がちり」と当たるまで掘り続けろと語っています。なによりそれは、国家でもなく家族でもなく自分のためにと。

 同時に漱石流の「個人主義」の要諦として、漱石は三つのポイントを挙げます。

 「第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務というものを心得なければならないという事。第三に金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならないという事」です。

 これぞまさしく、近代立憲民主主義の要を言い当てています。学習院の学生になぜこのようなことを話したかというくだりで、一定程度の社会的身分を得るであろう彼らは、人を妨害し、権力及び金力を用いる人が沢山いるから、だと付け加える点も、いかにも漱石らしく、とても興味深いです。「個人」として「自由」であることの「節度」が欠けていることを、我々も常に顧みなければなりません。

1970年11月25日の衝撃と現代への「檄」

市ケ谷の自衛隊駐屯地総監部のバルコニーから改憲などを訴える演説をした作家の三島由紀夫氏=1970年11月25日、東京都新宿区市谷本村町
 4人目のナビゲーターは、約50年前、「戦後レジーム」の中で失われた“日本”を取り戻そうと、命を賭して「檄」を飛ばし、死んでいったあの男です。

 大阪で万博を開き、戦争の陰を完全に払拭し、未来の反映をうたい上げた1970年の日本で、「最もダンディだと思うのは」というアンケートに、三船敏郎や石原裕次郎、長嶋茂雄といった名だたる芸能人やスポーツ選手を抑えて1位に輝いていたのは、作家の三島由紀夫でした。

 11月25日、三島は市ヶ谷にある自衛隊駐屯地の総監室を占拠し、自衛隊に決起を呼びかけます。しかし、自衛隊員の反応は冷ややかで、三島はその場で割腹自殺をしました。暴力的クーデター自体が憲法破壊的な行為であることは、もちろんです。とはいえ、三島がこの時に飛ばした『檄』のうち以下の部分は、2020年の現代でも通用する本質的な問いかけを含んでいると思います。

 「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、……その場しのぎの偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。……政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね」られていることを「歯噛みをしながら見てゐなければならなかった」(中略)
「法論理的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされて」きた。(中略)
「われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った」(三島由紀夫『檄』1970年11月25日)

 現在、日本が繁栄していると言えるかどうかはおくとして、戦後長らく政権を担った自民党は、「経済成長」と「反共」をアイデンティティーとしてまとまってきました。しかし、この両者が現実味を失った今、いかなる価値にもコミットしない「ただ現状を保守する」現状維持政党と堕しています。

 その結果、少子高齢化はもちろん、教育、働き方、税と社会保障、司法制度、皇室制度など、このままいけば行き詰る各種政策や制度についても、根本的な改善をすることなく、場当たり的な「その場しのぎ」のパッチワーク政策に終始しています。権力は誰もが「矛盾の糊塗、自己の保身、権力慾、偽善にのみ捧げられ」、あらゆる国家の基本的決定は「外国」(=アメリカ)に左右されるという言説に、現在の政治権力や国民は明確な回答ないし反論が可能でしょうか?

あいまいさとの“闘争”とあいまいさからの“逃走”

 三島は自決の1週間前のインタビューで、「敵というのは、政府であり、自民党であり、戦後体制の全部ですよ。社会党も共産党も含まれています。ぼくにとっては、共産党と自民党とは同じものですからね。まったく同じものです、どちらも偽善の象徴ですから。」(『三島由紀夫最後の言葉』)と語り、与野党、政府問わず、その偽善性を痛烈に指摘してました。

 この点も、現在の政治状況と全く同じです。自民党も立憲民主党も共産党(その他すべての政党)も、自身の目の前の議席やポジションを守ろうという保身と権力慾、そして偽善にまみれています。

 法哲学において有数のリベラリストであり、三島の自決によって東京大学入学へ導かれたと語る井上達夫は、三島の檄を「憲法の否定」の文脈で「自壊的」としつつも、この檄と向き合い乗り超えるべき解答を与えなければならないとし、自身の社会への発信は三島の檄の「思想の転生」としての「新たな檄」であるとまで断言します(『生ける世界の法と哲学』信山社2020)。

 井上が、「政治家も国民も、右も左も、……憲法96条が定める正規の憲法改正プロセスに従って自衛隊と憲法9条の矛盾を抜本的に正すという……自壊的ではない憲法改正の道を塞いでいる」ことにより、「自壊的」(三島)でも「欺瞞的」(大江)でもない解答をいまだ我々日本人は用意できていないと喝破するとき、それは先述した三島の言葉とオーバーラップします。

 大江も前掲のスピーチで、「日本の経済的な大きい繁栄は……日本人が近代化をつうじて慢性の病気のように育ててきたあいまいさを加速し、さらに新しい様相をあたえました」と、経済的繁栄によって、日本人が何たるかが見えにくくなっていることを指摘しており、「経済=金」への関心が肥大化している戦後日本という三島と同じ問題意識を共有しています。

 しかし、大江はここまでの問題意識を共有し、「あいまいさ」との闘争を企図しながら、その根底で「あいまいな軍隊」を認める「あいまいな」日本国憲法秩序を、「新しい日本人の根本のモラル」として肯定的にのみ受容し、日本国憲法自体の問題性にメスを入れません。この点で、大江の「あいまいさとの“闘争”」は、「あいまいさからの“逃走”」と言わざるを得ないでしょう。

コロナ対応でも続く「あいまいな」権力行使

 4人のナビゲーター、大江、川端、漱石、三島が残した言葉を逍遥すれば、我が国を憂う闘士たちが立場を超えて戦ってきたのが、「あいまいな日本の私」であることは間違いなさそうです。

 そして、残念ながらここで強調せねばならないのは、その「あいまいさ」は、2021年も“コロナ禍”という養分を得て、新たな妖気を放ちながら、日本社会のど真ん中を堂々と闊歩しているという現実です。

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