日本人として酷使され、戦後は日本籍剝奪・収監。謝罪すら得られぬまま死去
2021年04月03日
冬を間近に控え、ソウルは肌寒かった。2005年11月9日。東京から来た在日コリアンの李鶴来(イ・ハンネ)さんは、韓国外交通商省前に立ち、マイク越しに静かに呼びかけた。
「日本の戦犯となった負い目から、この50年間、韓国で補償要求運動ができませんでした。いま、やっと言えるのです。私のような旧日本軍属に、日本政府が補償に乗り出すよう、韓国政府にも後押ししてほしいのです」
韓国では、第2次世界大戦の「戦犯」は、日本の戦争に協力した者というイメージがあり、「親日派」のレッテル貼りにも通じる。そんな価値観がまだ残っていたからだ。
この控えめなデモの後、李さんは目の前でメモを取っていた筆者を見つめて言った。
「韓国には命を賭けて抗日運動をした人もいたのに、私は戦犯の汚名をきせられ、祖国の再建にも参加できず、韓国政府にもの申すことは良心が許さなかった……。私の人生は、本当に不条理の連続でした。でも、これからは変わるかもしれない。希望は捨てていない」
李さんは当時、80歳。私が日本で李さんを初めて取材したのは、その10年以上前だった。体験談を聞けば聞くほど、不条理としか言葉が見つからない。
しかし、李さんの淡い期待とは裏腹に、不条理は今に至るまで続いている。解決の日を見ないまま2021年3月28日、李さんは東京都内の自宅で倒れ、世を去った。96歳。朝鮮半島出身で日本に残る元戦犯として最後の一人だった。
今の韓国・全羅南道出身の李さんは、生まれた時から「日本人」だった。
開戦間もない1942年、17歳の時、俘虜(ふりょ)収容所の監視員募集に応じた。「農家に生まれた自分は、面事務所(村役場のような機関)から応募しろといわれ、2年の約束で給料も出るというし、徴兵や徴用よりはましだと考えた」という。その後、タイの俘虜収容所に配属される。
大戦史に残る過酷な作戦として知られるタイ・ミャンマー間の泰緬(たいめん)鉄道建設作業のため、多くのオーストラリア人捕虜らが強制労働に駆り立てられた。李さんは上官の命令に従って使役監視業務に携わり、厳しい労働に加え食糧や医療不足が重なって多くの捕虜が死んでいくのを目の当たりにした。
1945年8月、バンコクで敗戦を迎えた。
祖国に帰れると喜んだのも束の間、翌9月以降は捕虜を虐待したとして連合国側からBC級戦犯の容疑をかけられた。シンガポールに移送され、一度は起訴の却下で釈放されるが、引き揚げ途中、香港で拘束され、再びシンガポールへ。オーストラリアによる軍事裁判で死刑判決を受けた。
日本軍は、捕虜と直に接する捕虜監視員に、朝鮮人や台湾人をあてることが多かった。日本の敗戦後、捕虜らが、顔見知りの彼らを真っ先に告発するケースも多かった。
李さんは死刑から有期刑に減刑された後、1951年8月、シンガポールから日本へ移送され、日本人戦犯と同様、東京のスガモ・プリズンに収監される。
その1カ月後、日本はサンフランシスコ平和条約に調印し、連合国からの独立が決まった。翌52年4月、条約の発効を目前に、日本政府は「朝鮮人は日本国籍を喪失する」と通達を出した。さらに、日本の独立後、政府は軍人らに手厚い補償を始めたが、日本籍を一方的に剝奪された朝鮮人は収監され続けた。
李さんが仮釈放になったのは日本独立から4年後の1956年だった。
李さんは「彼らは何のために戦争に参加し、何のために戦犯となり、何のために死んだのか。このままでは理由がはっきりしない。生き残った者が彼らの無念を晴らす責任がある」と考え、朝鮮半島出身者の仲間と「同進会」という組織を結成。日本政府に、「日本のために働いたのに、なぜ待遇が差別されるのか」と仮釈放後の生活保障や刑死者の遺骨の返還などを求めて運動を始める。
韓国の故郷へ帰国することも考えたが、元軍人・軍属は「対日協力者」「親日派」として非難されるため、親類に影響が及ぶことを考えて断念した。
李さんらの訴えに対して、日本政府や裁判所は「日本国籍の喪失」を理由に、軍人・軍属、戦傷病者らに対する補償措置から排除した。
また、日韓が国交を正常化した1965年の日韓請求権協定で「完全かつ最終的に解決済み」と明文化されたことを持ち出し、韓国人に補償しない理屈とした。
李さんらは、1991年に「条理に基づく謝罪・補償」を求めて提訴する(原告7名)。
最高裁は1999年に請求を棄却する一方で、李さんの長い、静かな闘いを無視はしなかった。
判決の中で、李さんらの被害そのものは「深刻で甚大な犠牲や被害を被った」と認定したうえで、「補償は立法の裁量」と事実上、立法による解決を勧めた
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