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「戦犯」の無念晴らされず~李鶴来さんに日本が強いた96年間の「不条理」

日本人として酷使され、戦後は日本籍剝奪・収監。謝罪すら得られぬまま死去

市川速水 朝日新聞編集委員

「50年間、韓国で運動できず、やっと………」

 冬を間近に控え、ソウルは肌寒かった。2005年11月9日。東京から来た在日コリアンの李鶴来(イ・ハンネ)さんは、韓国外交通商省前に立ち、マイク越しに静かに呼びかけた。

 「日本の戦犯となった負い目から、この50年間、韓国で補償要求運動ができませんでした。いま、やっと言えるのです。私のような旧日本軍属に、日本政府が補償に乗り出すよう、韓国政府にも後押ししてほしいのです」

拡大ソウルの韓国外交通商省前で、自らの戦犯の歴史を語る李鶴来さん=2005年11月9日、筆者撮影
 李さんの訴えに足を止める通行人は多くなかった。

 韓国では、第2次世界大戦の「戦犯」は、日本の戦争に協力した者というイメージがあり、「親日派」のレッテル貼りにも通じる。そんな価値観がまだ残っていたからだ。

 この控えめなデモの後、李さんは目の前でメモを取っていた筆者を見つめて言った。

 「韓国には命を賭けて抗日運動をした人もいたのに、私は戦犯の汚名をきせられ、祖国の再建にも参加できず、韓国政府にもの申すことは良心が許さなかった……。私の人生は、本当に不条理の連続でした。でも、これからは変わるかもしれない。希望は捨てていない」

3月28日都内で死去、歴史の隙間で置き去りに

 李さんは当時、80歳。私が日本で李さんを初めて取材したのは、その10年以上前だった。体験談を聞けば聞くほど、不条理としか言葉が見つからない。

 しかし、李さんの淡い期待とは裏腹に、不条理は今に至るまで続いている。解決の日を見ないまま2021年3月28日、李さんは東京都内の自宅で倒れ、世を去った。96歳。朝鮮半島出身で日本に残る元戦犯として最後の一人だった。

拡大李鶴来さんの体験は若い世代にも語り継がれた。自宅を訪れた法大生のインタビューを受けたことも=2017年11月
 李さんの「不条理」は、日本による朝鮮半島植民地統治、日本のアジア・太平洋戦争の戦線拡大、そして敗戦、連合国軍による日本占領、日本の独立、戦後の日韓国交正常化交渉の全てにかかわる。すべての隙間にはまったまま置き去りにされてきたものだ。

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筆者

市川速水

市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員

1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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