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脱「ドメ派」へもがいた英会話 中東出張でなぜかモスクワへ 「課長が行方不明!」

失敗だらけの役人人生⑱ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

「英語なんて度胸や」?

 ところが、ちょうど渡米二週間目の晩、ある米国人のお宅に招かれたことがキッカケとなって、頭の中の霧が一気に晴れることとなりました。その晩も緊張して重い気持ちで夕食会に臨んだのですが、先方の御夫人がとても辛抱強く私の拙い英語に付き合って下さったのです。その時唐突に、日本語の不得意な外国人が一生懸命日本語で話しかけて来たら、自分も同じように辛抱強く対応するだろうと気がつきました。

 上手にしゃべれなくても相手が助けてくれれば会話は成立するのだ、とわかったのです。その晩以降は下手な英語でも会話が成立すれば十分だと開き直り、過度の緊張から解放されリラックスできたおかげで、聴き取りもしゃべりも格段に容易になりました。英語の達者な同期生がかねがね「英語なんて度胸や」と言っていたのを思い出し、こういうことかと初めて実感することが出来ました。

 一か月の米国情報機関調査出張から何とか無事に帰国し、情報部門に勤務し始めると、外国人と話す機会も多くなり、頻繁に外国出張や海外研修にも派遣されることになりました。しかし、実は改善されたのは度胸だけで、肝心の英語力は仕事ができるレベルまで底上げされていなかったため、研修や出張のたびにその現実を突き付けられ自己嫌悪に陥ることの繰り返しでした。

 この頃、上司の防衛庁長官官房審議官(後に事務次官になる畠山蕃氏=編集部注)の米国出張に同行したことがありました。前回第17話で触れた私の役人のロールモデルがこの方で、当時大蔵省から防衛庁へ審議官として出向してこられたばかりで、情報の仕事も担当しておられました。審議官はドイツ駐在経験がありドイツ語が出来、英語も堪能だったため同行した私は楽をさせて頂いたのですが、旅の終り頃に茶目っ気を発揮されて大いに焦りました。会議中に英語でしゃべっておられたのが突然日本語に切り替えて、私に向かって「通訳してくれ」と言われるのです。

拡大1990年、防衛庁の畠山蕃・長官官房審議官(左)の米国出張に同行した黒江氏=コロラド州。黒江氏提供

 当然のことながら結果は惨憺たるものに終わり、審議官も論評に困ったのか、「黒江は耳はいいな」と辛うじてフォロー(?)して下さいました。


筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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