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脱「ドメ派」へもがいた英会話 中東出張でなぜかモスクワへ 「課長が行方不明!」

失敗だらけの役人人生⑱ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

勉強開始の不純な動機

 そうこうするうちに国際情勢の変化に合わせて内局が米国国防省などと政策協議を行う機会が増え、防衛力整備一辺倒のスタイルが徐々に変わって行きました。こうした流れに対応しようという諸先輩の努力により防衛庁の留学枠が増え、内部部局における国際派へのやっかみも薄れ、庁内でTOEICを受けられるようになるなど雰囲気が変化して行きました。

 そんな中で英国国防大学(RCDS)に留学した先輩の経験談を聞き、自分もそういう楽しい留学をしたいと思い立ちました。仕事に直結しない形で英語を勉強し外国生活も経験し家族サービスも出来る、カリキュラムが確立している上に「Beer Drinkers’ Course」の別名が示す如く内容はかなり緩くソーシャルイベントも多い、米国ほど日本からの訪問者も多くないしイースター休みや夏休みのほか1週間の国内視察や1カ月の海外視察まである等々、動機は不純でしたが、とにもかくにも自発的に英語を勉強する気になったのです。

 とは言え英語学校に通ったりする時間はなかったので、聴き続けるだけで英語能力が向上するというふれこみの教材を買い込み、通勤途中にひたすらヒアリングに没頭しました。今となっては懐かしいカセットテープのウォークマンで、教材のみならずトム・クランシーのジャック・ライアンものとかマイケル・クライトンの「ジュラシックパーク」などの小説のオーディオブックなども聴きました。同期生が「大まかな筋を知っていると英語を聴き取りやすいし、表現の勉強にもなる」とアドヴァイスしてくれたのです。

拡大ヒット商品となったウォークマン=1987年。ソニー提供

 こんな勉強を5年以上続けた結果、スピーキングやライティングは依然からっきしでしたが、リスニング能力については手応えを感じました。成果を過信し、調子に乗って在米日本大使館勤務を希望しましたが、残念ながらこれは叶いませんでした。

 他方、熱望していたRCDSにはめでたく留学させてもらうことが出来ました。1998年(平成10年)のことです。日頃米国との付き合いが多い中で、冷戦終結から10年という時期に英国や欧州諸国、中東諸国などの安全保障の考え方に触れることが出来たのは大きな収穫でした。

 この留学を通じて、自分が常識だと思っていたことを少し相対化して考えられるようになりました。例えば、この年の12月に英国は米国とともに国連の査察を拒否したイラクを空爆しましたが、英国内での議論の争点は国際紛争に関与すること自体の是非ではなく、関与の程度が妥当かという点だけでした。自衛隊の海外派遣に対して、理由は何であれ強い忌避感を示す日本の世論とは大違いでした。

 そのうち、英国民は今も大英帝国的な意識を持ち続けており、国際社会のリーダーとして世界平和に責任を負うのは当然だと考えていることに気づきました。当たり前の事ですが、各国の国民感情はそれぞれの固有の歴史によって形づくられているのであり、我が国のように敗戦によって価値観の大転換を強いられた国ばかりではないという事を実感しました。

拡大グリニッジ標準時を示す英国国会議事堂の大時計、ビッグベン=2017年、ロンドン。朝日新聞社

 また、アジア中東諸国のメンバーは外国軍隊の国内駐留への反感が強く、在日米軍の存在を当然視する私の感覚は全く理解されず、戦後ずっと米軍の駐留を受け入れてきた我が国の特殊性を改めて認識させられました。

 国防大学のコースが終わった後には、三カ月間ほど英国国防省で研修する機会にも恵まれました。この研修では、英国におけるPFIなど民間活力導入の試みや、ソ連崩壊から10年を経てもロシアとの信頼醸成がなかなか進んでいない様子など、様々な興味深い状況を間近に見ることが出来ました。

 ですが、国防省の某課で研修していた際に省内の他課からかかってきた電話をとったところ、早口で不在者への伝言を頼まれたのには往生しました。どう処理したのかは記憶から抜け落ちていますが、英国国防省に迷惑をかけなかったことを祈るしかありません。

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筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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