「人の支配」を許す改正特措法に対抗し、「法の支配」の常識的な問いを取り戻す
2021年04月15日
東京都でまん延防止等重点措置(以下「重点措置」という)が4月12日から5月11日まで適用される。この措置は、果たして合憲だろうか?
そんな問いがどこからも聞こえてこないのだとしたら、異常である。
コロナ禍でみんな大変な思いをして我慢しているのだから、そんな問いを立てるべきでないというなら、もっと異常である。
「法の支配」のもとでは、ごく当たり前の、常識的な問いだからである。政府・自治体が、営業の自由、移動の自由をはじめとする人々の諸活動を制限することは、たとえ要請・呼びかけであっても、コロナ禍以前の社会であれば、よほどの理由がない限り、許されなかったことである。
よほどの理由、すなわち「公共の福祉」のために制限が必要なのであれば、本当にそれは必要最小限のものなのかを、厳しく問うことが常識であった。
その常識は、コロナ禍のような危機に直面すると通用しなくなるのだろうか。そんなはずがない。
「法の支配」は社会が危機に直面してこそ、「人の支配」「空気の支配」あるいは「多数者の専制」が優勢にならないよう、その歯止めとして機能しなければならないもののはずだ。
私はコロナ禍の今も、「法の支配」は無視してはならないという人々の素朴な信念が失われていないと信じて、この措置は合憲だろうか? と問いたいのである。
といっても、ここで専門的な憲法論を展開したいのではない。「法の支配」に関する哲学的議論をするつもりもない。一般の人々と分かち合えるよう、普通の話をしたいだけである。
「この重点措置は果たして合憲か?」という問いは、言い換えれば、次のようになる。
「この措置は本当に、目的を達成するために必要最小限のものなのか?」
「この措置による制限・副作用を甘受しなければならないほどに、今は差し迫った状況にあるのか?」
現時点での私の結論から述べると、いずれもNOである。
もちろん、状況は常に変化し、予断を許さないのだが、重点措置の実施前日に本稿を書いている4月11日時点では、東京都は重点措置を実施しなければならないほど差し迫った状況にはないと考える。
いや、関西圏で猛威を振るっている変異株の脅威が差し迫っていてYESなのだという人もいるだろう。もちろん、そういう意見があっても良い。それがYESかNOかを議論できる枠組みがあるのであれば、良い。
最大の問題は、それがYESなのかNOなのか問うこと自体を無力化してしまう法律ができてしまった、という事実である。
それが、私が「一線を越えた」と警鐘を鳴らしたことの意味であり、先般の緊急事態宣言の最中に、自民党と立憲民主党が密室修正協議を経て成立させた改正インフルエンザ等対策特別措置法(以下「改正特措法」という)の本質的な欠陥である。
まず、東京都の最新の感染状況を確認しておこう。
4月10日の1日あたりの陽性者数は458.6人(発生届出日ベース、7日間移動平均)である。今年に入って最も少なかった253.4人(3月8日)から、約1ヶ月で約200人増えたことになる。
この間、陽性者の増え方を示す実効再生産数はこの間1〜1.1前後を推移してきた(東洋経済オンライン特設サイト参照)。1を超えているので、増加傾向が約1ヶ月続いていることを意味する。
だが、注意すべきは、大阪府や兵庫県で1.5を超え、いわば急増傾向が表れたのとは状況が異なるという点だ。東京都はジリジリと増えているというのが実態であり、この傾向自体は緊急事態宣言解除前の3月上旬から特段変化は見られないのである。
特に気になるのは、死者数である。死亡日別で見た死者数は2月上旬をピークに減少傾向は変わらず、1日10人未満の水準を維持し、顕著な増加の兆しは出ていない。都内の死者はかなり遅れて報告されてくるため、直近(3月下旬〜4月上旬)の死者は今のデータより少し増えるかもしれないが、増加に転じているようには見えない。
他指標も見てみよう。都では、発熱相談件数もモニタリングしている。これは1月初めの1日平均100件レベルをピークに減少に転じ、4月8日現在は56.9件(7日間平均)で、緊急事態宣言が解除された3月21日(62.1件)より少なめである。
次に、医療提供体制も見ておこう。
4月10日現在の入院患者数は1505人である。今年のピークだった3427人(1月12日)の半分以下で、最も少なかった1250人(3月14日)の約2割増にとどまる。昨年夏のピーク(1710人、8月11日)より少なく、確保病床数は拡充されているため、病床使用率は約30%となっている。
重症患者(都基準、人工呼吸器装着)は37人である。これも今年のピークだった160人(1月20日)の4分の1の水準である。
先ほど、3月上旬以降、実効再生産数が1.1前後で推移し、1日あたり陽性者数がジリジリ増えている現状を確認したが、幸いながら、重症者数は50人以下の水準をキープしている。都基準の運用病床ベース(332床)でみると、病床使用率は10%台である。
専門家はよく「陽性者が増えれば、重症者の増加が2週間後に現れる」という。だが、ジリジリとした増加傾向が1ヶ月続いているのに、重症者・死者数に顕著な変化はないのである。新規陽性者に占める65歳以上の割合は減少傾向にあり、陽性者の大半を重症化率の低い人たちが占めている可能性がある。
先行して重点措置が実施された大阪府や兵庫県と比較すると、違いが顕著にわかる。
大阪府は陽性者数、重症者数ともに増え方が顕著であった。病床使用率が4月に入り4割を超え、とりわけ重症病床は、府のコロナ重症センターの運用体制を縮小してしまう失策も手伝って8割超となった。
兵庫県も増加ペースが加速し、病床の逼迫が現実化してきた。
ところが、東京はそうはなっていないのである。
ではなぜ東京も重点措置を適用することになったのかといえば、関西圏で猛威をふるっているとされる英国株(N501Y)の脅威が差し迫っている、東京への重点措置適用はいつなのか、とメディアが繰り返し報道したことが大きいだろう。
変異株に対する警戒もわかるのだが、強い制限措置を実施すれば、必ず強い副作用が発生し、失業者や倒産が増えることも、火を見るより明らかなのである。
いま話題となっているワクチンになぞらえてみよう。
仮に、強い副作用が必ず出て、高い確率で致死に至るワクチンがあったとして、感染を防ぐ効果があるからといって、誰が接種するだろうか。
もちろん今のワクチンは深刻な副作用が生じる確率が極めて低く、それを上回るメリット(感染、重症化リスクの低減効果)があると言われているからこそ、多くの人が進んで接種しようとしているのであろう。
翻ってみて、強い制限措置は、ワクチンと異なり、必ず、甚大な副作用を伴う。不可避的に、ほぼ全て人々が享受する自由を奪い、少なからずの人々が生活を破壊され、格差も増大させる。ワクチンと同様、そうした副作用を上回るメリットがあるのかどうか、を冷静に検討しなければならないのは、当然ではないだろうか。
それがすなわち、
「この措置は本当に、目的を達成するために必要最小限の措置なのか?」
「今すぐに、措置による制限・副作用を甘受しなければならないほどに差し迫った状況にあるのか?」
という問いなのだ。
この常識的な問いが社会の中で真剣に議論され、その結果として、これは副作用を甘受してでもやむにやまれぬ措置だという結論に至ったのであれば、良い。
しかし、私には、その問い自体が回避されているようにすら見えるのだが、違うだろうか。
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