メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

娘の出産に夜遊びで遅刻 息子とのゴジラツアーをドタキャン 家族に迷惑の日々

失敗だらけの役人人生⑲ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

拡大黒江氏と家族=1997年。黒江氏提供

2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんの回顧録です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」での連載からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。

帰ったら近所の奥さんが…

 前々回に職業人に必要なP・K・Oの一つとして「思いやり」を挙げましたが、職場の関係者だけでなく、家族に対する思いやりも大事です。しかし、私はこの面でも失敗を重ねてきました。

 まだ若手だった昭和末期から平成初期の頃は、仕事では散々こき使われましたが、飲み会やカラオケ、麻雀にパチンコなど大いに遊びにも興じました。しかし、遊びの度が過ぎて、家族にとんでもない迷惑をかけたこともありました。

※写真はイメージです

拡大1991年、神戸市。朝日新聞社

 1989年(昭和61年)3月31日、新年度の定期異動を翌日に控え、歓送迎会が集中するタイミングでした。当時家内は第二子を身ごもっていて、4月8日頃が予定日でした。当時の出産予定日は今と違ってかなりアバウトだった上、長男の誕生が予定日より随分遅れたこともあり、今回もそんなに早くはあるまいとタカをくくって31日の夜は遅くまで同僚と遊び歩いていました。

 ところが、遊び終えて4月1日の未明に帰宅し、官舎の自室のドアを開けたところ、中から近所の奥さんがまだ幼かった長男を抱っこして出てきたのです。その瞬間、私は全てを悟りました。当時は携帯電話もなかったため、予定よりも早く陣痛が始まった家内は、私に連絡をとるすべもなく、やむなく官舎で親しくしていた奥さんに二歳の長男のお守りを頼み、近所の防衛庁職員の方の車で病院まで送ってもらったのでした。

 当時、我が家にも自家用車があったのですが、結果的に全く役に立たちませんでした。しかも悪いことに、この車は長男が生まれた後に「次の子が生まれる時には病院まで送ってあげるから」という口実で、私よりもはるかに高給取りだった家内にねだって買ってもらったものでした。

 夜が明けてから、長男を連れて病院に駆けつけて家内と生まれたばかりの娘に対面したのですが、さすがにとても気まずい思いをしました。この一件については、家内にも息子にも娘にも何も申し開きが出来ず、ただただ恥じ入るばかりです。


筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

黒江哲郎の記事

もっと見る