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娘の出産に夜遊びで遅刻 息子とのゴジラツアーをドタキャン 家族に迷惑の日々

失敗だらけの役人人生⑲ 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

家族同伴留学でリカバリー

 前に述べた通り、1998年(平成10年)、キャリアのちょうど折り返し点のあたりで一年間英国の国防大学(RCDS)におじさん留学をさせてもらいました。留学の目安となるTOEICの点数の獲得に苦労し、当時秘書課で外国留学を担当していた後輩の部員を「RCDSに行けないのなら役所を辞めてやる」と脅して散々困らせた末に実現したものでした。もちろん、最終的にはTOEICの点数は満たしていたはずです。

 私は家族全員を連れて英国へ行くつもりだったのですが、小学校卒業を目前に控えていた娘には頑強に抵抗されました。「お友達と一緒に卒業する!」と泣かれてほとほと困り果てていたところ、娘から二つの条件が出されました。条件の一つめは現地校ではなく日本人学校に通うこと、二つめは生後10週間の牝の子猫を飼うことでした。

 我が子の涙に弱い私は二つ返事で了解したのですが、二つ目の猫が難題でした。我々が渡英したのは1997年(平成9年)12月で、繁殖期を外れていたため条件に合う子猫はすぐには見つからず、すったもんだの末にやっと見つけたのは翌年6月でした。現地の獣医さんの勘違いで牝ではなく雄だったのは御愛嬌でしたが。

拡大黒江氏が英国留学中に家族に加わったホームズ=2005年ごろ。黒江氏提供

 彼は帰国の際に一緒についてきてくれて、日本で16年の寿命を全うしました。家族の中で唯一、ブルーチーズを理解してくれる存在でもありました。私がリビングでワインとブルーチーズを楽しんでいると、家族はその香しさに恐れをなして一人またひとりと姿を消して行くのですが、彼だけは私の腕に肉球をピタッと乗せ、ひたむきな眼差しでチーズをせがむのでした。

 亡くなったのは2014年(平成26年)秋、ちょうど郷里・山形に出張し実家で寝ていた時でしたが、律儀な彼は山形まで別れの挨拶に来てくれました。私は一度寝入ると朝まで目を覚まさない方だったのですが、その夜は午前3時頃に突然目が覚めたのです。一瞬理由がわからずもう一度寝入ろうとしたところへ、家内から他界を知らせるメールが着信しました。ホームズという名の温厚な子でした。

拡大1998年6月、W杯アルゼンチン戦でドリブルする日本代表の中田英寿選手=仏・ツールーズの市営競技場で
 英国で家族と過ごした一年間、私は必死で家族孝行に努めました。北はスコットランドのネス湖、ピーターラビットの湖水地方、南はセブンシスターズの白い崖、西はストーンヘンジと様々な場所へ家族連れでドライブしました。イースターにはパリへ旅行し、夏休みには欧州10か国バスツアーに参加しました。中学生になっていた息子は、英国の硬式野球も経験しました。また、サッカー日本代表の記念すべきワールドカップ第1戦のアルゼンチンとの試合(1998年6月=編集部注)は、フランスのトゥールーズで息子と一緒に観戦しました。

 家内からは「この一年がなかったら、あなた家族の中に居場所がなくなってたわよ」と言われました。家族孝行の努力が認められたということかなと思います。

 ともあれ、この一年間はそれまでの17年間にわたる激務への慰労ボーナスだと思っていたのですが、それは私の勝手な思い込みでした。後になってから、実はその後の19年間の更なる過酷なご奉公に対する前払いだったことがわかったのです。それでもこの留学は、家族に対する貴重な恩返しの機会となりました。

「安保」法制から幻の命名

 2015年(平成27年)9月19日未明、懸案だった平和安全法制が国会で可決され成立しました。法案の担当だった私は、国会で成立を見届け、大臣と喜びを分かち合った後、午前4時過ぎにくたくたになって官舎へ帰り着きました。玄関の開く音で起きだしてきた娘とあいさつを交わし、そのままベッドに倒れ込んで寝入りました。娘は既に結婚していましたが、ちょうど第一子の出産のために沖縄から里帰りしていたのです。

 その朝8時過ぎに目が覚めると娘はおらず、家内から「(初孫が)生まれたよ」と告げられました。無事に初孫が誕生したことはもちろん嬉しかったのですが、同時に「名誉挽回出来なかったっ」との思いも頭をよぎりました。

 聞けば娘は私が熟睡している間に陣痛が始まり、家内に付き添われて中央病院まで歩いて行ったのだそうです。29年前に娘が誕生した時の失態を挽回しようと密かに狙っていた私は、「なんで起こしてくれなかったのか?」と家内に文句を言ったのですが、「寝ぼけて事故なんか起こされたら大変ですから」とドライにあしらわれました。

拡大東京都世田谷区の陸自三宿駐屯地内にある自衛隊中央病院への門=2019年。藤田撮影

 そこで、家内と娘に「平和安全法制が成立した日に生まれた子だから「安」と「法」で安法(ヤスノリ)という名前はどうかな」と提案したのですが、冗談だと思われてとりあってもらえませんでした。確かに、娘が付けた名前の方がヤスノリより何十倍も素敵でした。

 退職した後、娘が第二子を出産した時には、「今度こそ」と手ぐすね引いて待っていました。ところが、いざ陣痛が始まりいそいそと自家用車で病院へ送ろうとしたところ、その朝に限ってどうやっても車がインテリジェントキーに全く反応しないのです。秋が深まりかけていた頃だったので、これはバッテリーが上がったかと自家用車をあきらめ、仕方なくたまたま私を迎えに来ていた再就職先の社用車に乗せてもらうことになりました。

 後から、バッテリーではなくキーの電池切れと言う間抜けな原因だったことが判明しました。度重なる失敗のため面目は丸つぶれとなり、結局未だに名誉回復は出来ていません。

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筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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