メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

無料

いま語る南スーダンPKO日報問題 役人人生37年、最後で最大の失敗 

失敗だらけの役人人生㉙(最終回) 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓

黒江哲郎 元防衛事務次官

拡大2017年2月、防衛省が公表した南スーダンPKO派遣部隊の「日報」=朝日新聞社

2017年まで防衛省で「背広組」トップの事務次官を務めた黒江哲郎さんが回顧する連載、今回は最終回です。防衛問題の論考サイト「市ケ谷台論壇」からの転載で、担当する藤田直央・朝日新聞編集委員の寸評も末尾にあります。

4年前、何をなぜ間違えたか

 2017年(平成29年)7月28日付で事務次官の職を辞し、足掛け37年に及んだ私の防衛省勤務は終わりました。入庁以来、数えきれないほどの失敗を犯してきたことは既に述べました。それらの失敗一つひとつから教訓を得て、次の仕事につなげて来たつもりだったのですが、役人人生の最後の最後に最大の失敗をし、それが原因で辞職することになりました。いわゆる、南スーダン日報問題です。

 南スーダンは2011年(平成23年)にスーダンから独立しました。その際、国連PKO部隊である国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)が設立され、自衛隊もこれに参加しました。しかし、その後も国内の民族間の派閥争いなどにより政情不安が続き、2016年(平成28年)7月には大統領派と副大統領派の間で大規模な武力衝突が発生し、自衛隊が宿営していた首都ジュバも緊迫した状況となりました。

拡大2016年11月、南スーダンの首都・ジュバで活動する陸上自衛隊PKO派遣部隊の隊員=朝日新聞社

 問題となった日報は、派遣された部隊が派遣元の陸上自衛隊中央即応集団(CRF)に日々の状況などを伝えるために作成した報告資料です。武力衝突当時の現地の状況についても記述されているため、7月の衝突後に開示請求がなされました。いわゆる南スーダン日報問題は、この情報公開請求に対して不適切な対応があった、というものでした。

 本件は、時系列的にも内容的にもかなり複雑でややこしい事案です。多くの人たちが関わっており、一つの事柄でも関係者それぞれが違う方向から見ているため、受け止め方も異なるものと思います。このため事実関係の細部については、防衛監察本部が関係者多数からの聴き取りをまとめて2017年(平成29年)7月27日に公表した「特別防衛監察の結果について」(以下、「監察結果」と呼びます)に譲ります。

 また、本稿の目的は私自身の反省ですので、以下には自分が関与した場面について記述しますが、事案が発生してから既に4年が経過し、その間に私自身の記憶も上書きされている恐れもあります。このため、可能な限り監察結果の記述を忠実に引用しながら当時の私の思考や感情を思い起こし、何をなぜ間違えたのか、何を教訓・反省とすべきか等について整理してみたいと思います。

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

黒江哲郎

黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官

1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

黒江哲郎の記事

もっと見る