黒江哲郎(くろえ・てつろう) 元防衛事務次官
1958年山形県生まれ。東京大学法学部卒。81年防衛庁に文官の「背広組」として入り、省昇格後に運用企画局長や官房長、防衛政策局長など要職を歴任して2017年退官。現在は三井住友海上火災保険顧問
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
失敗だらけの役人人生㉙(最終回) 元防衛事務次官・黒江哲郎が語る教訓
2016年(平成28年)12月、統幕総括官から日報に関する最初の報告を受けました。内容は、10月に南スーダン派遣施設隊の日報の開示請求があったが、当該日報は用済み後破棄の取扱いであり既に存在しないため不開示とされた、これに対して自民党行革推進本部等から疑義が呈されているので再探索する、というものでした。「日報が用済み後破棄?」と軽い驚きは覚えたものの、ルール通り破棄されているか否かを確認するというだけの問題だと理解し、深刻な問題とは受け止めませんでした。
その後2017年(平成29年)1月27日、タイのバンコクで開かれていた防衛駐在官会議に出席していた時に、監察結果にある通り統幕総括官から国際電話を受け、探索中の日報が統幕にあることが判明したところ、陸自にも個人データとして存在していたことが確認された、両者の扱いをどうすべきか、と相談がありました。
私は日頃から役所の資料のうち興味ある部分だけ差し支えない範囲でコピーして保存し、講演などを行う際の参考にしていました。こうして作ったファイルを「個人データ」だと考えていたので、陸自に存在する個人データも様々な資料の断片をランダムに集めた私のファイルと同じようなものと受け止め、「陸自に存在する日報は、公表に耐えられる代物であるか不明である」(監察結果)との判断を統幕総括官に伝え、統幕に残っているきちんとしたデータで対応すれば良い旨を指示しました。
バンコクから東京へ戻ってからは、直後の2月4日に予定されていたマティス米国防長官の初来日の準備に没頭し、日報のことはすっかり忘れていました。米国第一のトランプ政権誕生直後で同盟の行く末を心配する声が上がる中、マティス長官は日米同盟の重要性と日本の貢献を高く評価し、我々の懸念は払しょくされました。日米防衛首脳会談が大成功に終わり大臣以下関係者が一様にホッとした直後に、日報問題に火がつきました。
統幕で日報が見つかった旨を2月6日に自民党行革推進本部へ報告したところ、即座にそれがSNSにアップされ、マスコミが「不存在とされていた日報が実は存在していた」「組織的隠ぺいか」とセンセーショナルにフォローし、野党も国会で追及を始めました。それでも、本件は実務的で単純な問題だと受け止めていたため、丁寧に説明すればそのうち批判もやむだろうと思っていました。しかし、その後も問題は沈静化せず、日報の中で使われていた「戦闘行為」という用語が不適切だとか、統幕における日報の保管状況に問題があるなどとして連日追及が続き、戦線が拡大して行きました。
論座ではこんな記事も人気です。もう読みましたか?