「経済安保」の重要性に目覚めた日本のこれまでの歩みと今後の展望
2021年04月20日
菅義偉首相とバイデン米大統領の初の日米首脳会談が4月16日(日本時間17日未明)、行われた。ここで日米が発表した「新たな時代における日米グローバル・パートナーシップ」と題する共同声明は、北朝鮮問題や気候変動対策、ミャンマー問題など、様々な要素を含んだ包括的な内容となっている。
なかでも目を引くのは、「中国」を意識した要素が多い点だ。この部分をまとめると、大きく分けて三つの側面に分けることができる。すなわち、(1)軍事力など伝統的な安全保障の側面、(2)経済安全保障の側面、(3)人権や民主主義といった価値観の側面――である。
(1)の伝統的な安全保障の側面に関しては、「台湾」に言及されたことなどがメディアでは大々的に取り上げられているが、実は先月行われた日米安全保障協議委員会(日米「2+2」)で確認された内容とほぼ同じだ。もちろん、両国のトップがこのメッセージを改めて発信したことに意味はあるが、あくまで既定路線の確認に過ぎないとも言える。
また、(3)の人権や民主主義といった側面では、新疆ウイグル・香港などの人権侵害問題に言及しているものの、あくまで「懸念の共有」と中国に「直接懸念を伝達」するという内容に留まっている。
昨今、多くの民主主義国がその制定・実施を進め、日本でも超党派の議連が立ち上がり(参照)、検討が始まっている、「人権侵害を理由にピンポイント制裁を行う」ことを可能にする「日本版マグニツキー法」の制定を促すような「行動を伴う協力」を示唆する内容は、少なくともこの声明文には含まれていない。
その一方で、(2)の経済安全保障の側面に関しては、まさに注目すべき重要な新たな政策が多数入っている。
具体的には、半導体を含むサプライチェーンの連携や、知的財産保護に向けた協力、次世代通信システムである5Gから信頼できない事業者を外すことの確認や、バイオテクノロジー・AI・量子科学などの先端技術における研究開発協力等、かなり踏み込んだ経済安保に関わる内容が多く含まれている。
過去の日米首脳会談において、ここまで「経済安全保障」に関わる内容が含まれたことはない。今回の共同声明文が謳(うた)う「新たな時代における日米同盟」とは、「経済安全保障の時代における日米協力の新たな幕開け」と言っても過言ではないだろう。
今回、「経済安全保障」が日米同盟の主軸のひとつになるまでの背景を理解するには、ここ数年日本で進展してきた経済安全保障分野における議論や政治の動きを把握する必要があるだろう。
筆者は2018年2月に「日本の『安全保障政策に欠けている視点』-『economic statecraft』とは何か」という論考を発表した。
論考の中ではまず、国際政治において米中をはじめとする大国が「経済的な手段を用いて地政学的な国益を追求する」という『エコノミック・ステイトクラフト(経済的な国策)』を多用するようになっており、この視点が日本の安全保障政策から欠けていることを指摘した。
各国で活発化している「エコノミック・ステイトクラフト」には、貿易、投資、経済制裁、サイバー、経済援助(ODA)、金融政策、エネルギー政策、技術協力など、様々なツールが存在する。しかし、最近まで日本が積極的に用いていたのは、主にODAを通じた外交政策に限られており、そのODAですら日本の国益にどのような形で資するのかに関して、戦略的意図が必ずしも明確ではない場合が多かった。
論考ではさらに、民間セクターが開発した技術が軍事転用されることが増えるなか、無人システムやAI、ビッグデータの活用などの新技術の重要性が高まっていることに言及。米国の軍事戦略も変化をしてきており、「最先端の技術を持つ日本はこの試みにおいて主要なパートナーとなりうる」と指摘した。
そのうえで日本政府への政策提言として、
(1)エコノミック・ステイトクラフト戦略の構築、
(2)エコノミック・ステイトクラフト機能の強化に向けて、国家安全保障局(NSS)内に「国家安全保障経済政策会議」を設置すること、
(3)民間企業と緊密に連携し、企業やビジネスに対してエコノミック・ステイトクラフトに関する考えを促し、奨励すること、
の三点を論じた。
その1年後には、外務省が出版する雑誌『外交』2019年3・4月号に筆者の論考『「経済的国策」をめぐり激化する米中競争-エコノミック・ステイトクラフト(ES)にどう対処するか』が掲載された。中国が洗練されたエコノミック・ステイトクラフトを使いこなし始めたことを受け、欧米が防御的な経済安全保障上の措置を取り始めたことを紹介し、日本が取るべき政策を提言した。
具体的には、
(1)民間レベルでは、先端技術を巡る米国の投資規制や輸出管理への対応を始める必要があること、
(2)政府レベルでは、経済安保に関する包括的な戦略立案や、インテリジェンス分析、国内政策実施の省庁間調整が必要であること、
などを指摘した。
日本政府がエコノミック・ステイトクラフトへの対応力を上げるため、「経済安全保障」と本格的に向き合い始めたのは、筆者の『外交』論文が出された時期と重なっている。
2019年5月、自民党の「ルール形成戦略議員連盟」が取りまとめた『提言「国家経済会議(日本版 NEC)創設」』が安倍首相に手渡された。この提言書は、各国による「経済的な外交術を操り、安全保障上の国益を追求する手法であるエコノミック・ステイトクラフト(経済外交策)は激しさを増し、安全保障の観点から最先端技術を有する企業や製品・サービスを巧妙で多用な手口により獲得しようとしている」ことを指摘し、「米中のエコノミック・ステイトクラフト戦争の下で我が国が生き抜くために、戦略的外交・経済政策を練り上げる『国家経済会議(日本版NEC)』の創設を提言する」と締めくくっている。
この提言書を皮切りに、政府レベルで様々な組織改編が行われていく。
2019年10月末、提言書にあった「国家経済会議」が、既存の国家安全保障局内(NSS)に新たな班として「経済班準備室」を設置する形で実現した。半年の準備期間を経て、2020年4月にはNSS内の七つ目の班として正式に「経済班」が発足している。
経済安全保障政策の司令塔となるNSS経済班が機能するには、実際に大きな方向性を決めた後に、政策を実施する各省庁に「経済安保政策の窓口」が必要となる。経産省はNSSの経済班準備室に先立ち、6月に「経済安全保障室」を設置。外務省では経済班準備室と時期を合わせ、「新安全保障課題政策室」を設置した(参照)。
これらの組織改編を受け、日本の経済安全保障政策も少しずつ変化を遂げた。例えば、先端技術を含む技術漏洩対策は、「ヒト」「モノ」「カネ」「サイバー」の四つのルートから生じる可能性があるが、「ヒト」の面では共同研究への補助金規制、「モノ」と「カネ」の面では外為法の改正による貿易管理や投資規制の強化、「サイバー」の分野では日本のサイバーセキュリティ対策のさらなる向上に向けた諸政策が取られてきた。
残念なことに、政府のこうした動きは、コロナ禍と重なってしまったことで、停滞を強いられる。NSS「経済班」が、コロナの水際対策を行う「コロナ班」となったことにより、様々な検討事項にストップがかかったのだ。例えば、「経済安全保障戦略」の策定に向けた動きはいったん消え、「国家安全保障戦略」の改定時に「経済安全保障を一つの柱」とする方向になるといった報道が出るようになった。
しかし、政府がコロナ対策に追われるなかでも、政治の動きは止まらなかった。
2020年12月には、自民党政務調査会の新国際秩序創造戦略本部から『提言「経済安全保障戦略」の策定に向けて』が出された。そこでは、政府に「経済安全保障戦略」の策定・実施を求め、重点的に取り組むべき経済安全保障上の課題として、サプライチェーンの多元化・強靭化やイノベーション力の向上、経済インテリジェンス能力の強化などを含む16の提案が示されている。
現在、経済班はNSSの中で最大の規模となり、外務省の「新安全保障課題政策室」も「経済安全保障政策室」に改名(参照)。防衛省も今年4月から「経済安全保障情報企画官」を新設するなど、日本の経済安保政策実行能力の確保に向けた政府の動きは着々と進んでいる。これ以外にも、民間向けのセキュリティ・クリアランス制度や、「秘密特許」制度の導入などが現在、検討されている。
この一連の流れの延長線上にあるのが、今回の日米首脳会談で合意された様々な経済安保に関する協力だ。日米首脳会談において、ここまで具体的な経済安保関連政策が書き込めたのは、過去2年間に日本で行われてきた経済安全保障に関する議論や組織改編、政策立案があったからに他ならない。
日米首脳会談の共同声明について、具体的に見てみよう。
「半導体を含むサプライチェーンの連携」は、対中依存を減らすことで、中国によるエコノミック・ステイトクラフトの影響力を低下させる試みと言える。中国や台湾に依存し過ぎない半導体サプライチェーンの構築に向けた動きが日米間で今後、進んで行くと考えられるが、注目すべきは「半導体『を含む』」という部分だろう。
バイデン政権は大統領令で、半導体などを含むICT分野に加え、軍需産業やエネルギー分野、バイオ産業や農作物など、各省庁に対して分野別の「サプライチェーン評価報告書」を一年以内に提出するように義務付けている。日本も同様に、半導体に限らず様々な重要分野におけるサプライチェーンの実態把握に向けて動き、どのようなサプライチェーンの組み換えが望ましいのかを、米国やその他の国々と情報共有していく方向に動いていくと考えられる。
知的財産保護に向けた協力は、日本政府が進めてきた「ヒト」「モノ」「カネ」「サイバー」を通じた技術流出の防止に向けた取り組みと合致する。まずは日本国内の防御策を講じたうえで、「二国間、あるいはG7やWTOにおいて」知的財産保護に向けた国際的な働きかけを強めていくことは、従来「受け身外交」と批判されることもあった日本が、世界第3位の経済大国に見合うかたちで経済安保上の国際ルール形成に積極的に貢献することにつながるだろう。
次世代通信システムである5Gに関して、「信頼に足る事業者に依拠することの重要性につき一致」したとあるが、これは日本政府が経済安保上進めてきた組織改編で誕生した各部署が検討してきたことだ。中国政府が2017年に策定した「国家情報法」が、中国企業や中国人に国家の情報収集に協力することを定めているのを念頭に、中国の通信会社を排除しなければ利用者の個人情報が中国政府に流れるリスク認識を共有することを示す。さらに、共同声明で言及される『日米競争力・強靭性(コア)パートナーシップ』では、中国企業に頼らない5Gの「次の通信規格」である「6G」研究開発に向けた投資協力が謳われている。
先端技術に関する研究開発協力は、上述した自民党の新国際秩序創造戦略本部の「イノベーション力の向上」で挙げられていることにくわえ、内閣府「統合イノベーション戦略2020」で指摘されている内容とも合致する。民間レベルでも、米国シンクタンクであるPacific Forumと私の所属する研究所が2020年10月に共催した「革新的技術と日米同盟」というバーチャル国際会議(参照)で、バイオテクノロジー・AI・量子力学など、それぞれの技術分野におけるセッションを設け、日米が協力して中国に頼らない先端技術分野の開発協力を提言している。ちなみにこの会議には、日米の政策当局者も参加していた。
日本が米国との経済安保上の協力を深化させることは重要だが、その他の先進国とも二国間関係を強固にしていくべきだ。もし米国の政策が「経済安保」を超えて自国のみが有利となる「産業政策」の色彩が強くなってきた場合、日本は他の先進国と共にこれに歯止めをかけて行く必要がある。各国と二国間の「経済安全保障協議委員会」のような場を立ち上げ、今後の経済安保上の方向性を確認し、日常的に経済安全保障上のインテリジェンスを共有しあうことで、日本の経済安全保障は米国一国に依存する構図から脱却することができる。
また、「日米」に限らない二国間協力として、研究開発の分野が挙げられる。中国に「依存」することのリスクは分野ごとに異なるが、先端技術に関しては、総じて中国排除が進んで行くだろう。米国はあらゆる先端技術に秀でているが、例えばAIであればカナダ、バイオテクノロジーであればイスラエル、サイバーセキュリティであればオーストラリアと言った具合に、特定の先端技術に強い国と二ヶ国間や少数国間で研究開発協力を進めて行うのも有効だろう。
軍事的な伝統的安全保障は引き続き予断を許さない状態であり、人権や民主主義といった価値観を巡る相克も激しさを増すであろう。一方で、本稿で述べたように、経済安全保障の相対的重要性は確実に上がっており、経済安保上のさらなる協力が重要性を増すのは間違いない。
「連載・経済安全保障の時代~井形彬の目」では、世界中で目まぐるしく変化する経済安全保障に関する動きを分析していきます。バイデン政権下の経済安全保障政策はどう進展していくのか。国際人権問題を巡り日本企業が直面するリスクと機会はどのようなものか。米中競争が激化する中で、日本の対中政策はどうあるべきなのか……。どうぞご期待ください。
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