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香港で上映できないかもしれない「香港の記録映画」―日本起点に世界へ

デモ・圧力・コロナ下の制作~自由求め続ける精神を未来につなぐ

市川速水 朝日新聞編集委員

自由を求め街に出る香港市民……半世紀の闘いの歴史

 香港がイギリスから中国に「返還」されて四半世紀。中国共産党政権によって2020年、香港国家安全維持法(国安法)が施行されて以来、民主勢力が排除されるようになった。「愛国者でない」ことを理由に議員が排除され、デモに参加した若者らが次々と拘束されている。

2020年1月1日、逮捕されたデモ参加者への恩赦や警察による暴力調査などを求めて新年から香港政府に抗議する市民ら=香港・銅鑼湾
 返還時に中国が「50年間、高度な自治を保障する」と約束した「一国二制度」は2021年、議会から民主勢力が完全に排除される仕組みができ、事実上、崩壊した(論座欄3月12日付の拙稿「香港がつぶされた日。『一国二制度』を終わらせた『愛国』の踏み絵」ご参照)。

 それでも香港市民は若者を中心に自由と民主を求めて街に出る。その原動力は何か。いまの混乱から一歩離れて見れば、半世紀に及ぶ香港市民の闘いの歴史の延長線上にある。

過去と現在から未来を展望。日本と合作のドキュメンタリー

映画「BlueIsland 憂鬱之島」のドラマパートの一場面「脱出」=クラウドファンディングのウェブ画面から
 香港市民の過去と現在、そこから未来の展望を描こうとするドキュメンタリー映画が、香港と日本の合作で進められている。撮影中も社会は混乱し続け、コロナ禍でロケ撮影ができないなど障害が続出し、完成の予定が9カ月遅れた。

 敏感な内容を理由に、香港で上映できない可能性もあるという。資金不足を双方のクラウドファンディングで補いながら、日本がまず配給・上映のハブ(中継点)を担い、さらに世界に広げていくことを目指している。

映画「BlueIsland 憂鬱之島」の一場面=クラウドファンディングのウェブ画面から

「島」を描く。香港・台湾・日本の自ら立ち上がる精神

 映画の仮題は「BlueIsland 憂鬱之島(ブルー・アイランド ゆううつのしま)」。撮影をほぼ終え、今年中の公開を目指して編集作業中だ。

 タイトルから不思議ではある。香港は香港島だけでなく、九竜(クーロン)半島など大陸の一部も含むからだ。なぜ「島」なのかといえば、台湾という島も中国大陸や日本との関係で翻弄され続けた歴史があり、日本列島もアジアで独特な戦前戦後を歩んだ。同じ「島」という観点から描こうとしたという。

 「これらの島々は、自分たちのために自ら立ち上がる精神を持っている点が共通していると思います。映像でも日本や台湾の様子を表現するつもりです」と製作を担当したピーター・ヤム(任硯聡)さんは語る。

当局との緊張関係やコロナ禍での制作続く

左から蔡廉明(アンドリュー・チョイ)共同プロデューサー、陳梓桓(チャン・ジーウン)監督、任硯聰(ピーター・ヤム)プロデューサー=映画「BlueIsland 憂鬱之島」のクラウドファンディングのウェブ画面から
 ヤムさんのほか、チャン・ジーウン(陳梓桓)監督、アンドリュー・チョイ(蔡廉明)共同製作者といった香港を代表する映画人のほか、日本側の共同製作者として小林三四郎・太秦株式会社代表と馬奈木厳太郎弁護士がプロジェクトに名を連ねる。

 ヤムさんと小林さんは2021年4月13日、リモートで報道機関などに向けて記者会見を開き、映画のコンセプトやこの間の経緯、内容などを語った。中国当局との緊張関係や新型コロナ感染拡大によって互いの渡航が難しくなり、普段の打ち合わせも制限される日々が続いているという。

2014年の雨傘運動。民主派学生ら大勢の市民が路上で傘を広げ、香港政府に抗議した=香港・金鐘

1960年代からの闘いの延長線上に

 映画の制作が始まったのは2017年。

 最近の民主化闘争では、2014年、香港のトップ、行政長官選挙をめぐって市民による普通選挙を求める大規模デモ「雨傘運動」が起きた。催涙弾などを避けるカラフルな雨傘が路上に密集する風景は、香港市民の団結を世界に示すことになった。

 2019年には、大陸からの逃亡者を引き渡す「逃亡犯条例」改正案の撤回を求めて約200万人の市民が街を占拠した。昨年から今年にかけては、国安法施行に伴い、香港独立、反中国政府とみなされる言動への取り締まりが一段と激しくなっている。

 その中で映画がポイントを置くのは、1960年代からの闘いの連続を通した現在とのつながりだ。

 香港では1960年代、中国の毛沢東体制による文化大革命で大陸から逃れた人たちがいた。逆に毛沢東思想に影響を受けた人もいた。イギリスの植民地支配に抗う若者も多かった。1989年の天安門事件後は、抗議と大追悼会が繰り広げられた。

歴史のうねりに身を投じた3人を追う

ドラマパートを演出中の陳梓桓(チャン・ジーウン)監督=映画「BlueIsland 憂鬱之島」のクラウドファンディングのウェブ画面から
 監督のチャン・ジーウンさんは、ネットでこうコメントしている。

 「私は仲間と共に、香港の大きなうねりに身を投じた3名の人物の撮影を始めることにしました。彼らがどのような理想を掲げ、その理想がどのように変わっていったのかを知る必要を強く感じました。撮影を始めて1年半後の2019年、『逃亡犯条例』への抗議を発端とした民主化デモが始まります。若者たちが街に出て、先人たちの意志を継いで声を上げました。街を飛び交う銃弾と燃えさかる炎、催涙弾の白煙と放水車から吹き出す青い水。レンズ越しに記録された過去と現在と未来は、すべて一本の線でつながっています」

香港国家安全維持法の施行に反対する香港のデモ行進で「(中国共産党の)一党独裁を終わらせよ」と書かれたビラを掲げる参加者ら=2020年7月1日
 映画は、今も香港で暮らす3人を中心に展開する。

 1960年代、イギリス支配に反対する「反植民地運動」に加わったのを機に、抵抗者から経済人になり、「チャイナドリーム」を体現して富豪になった人。

 文化大革命から逃れるために恋人と一緒に海を渡って香港にたどりついた人。

 天安門事件に駆けつけ、軍に抵抗する学生らを支援した人。

 それぞれにインタビューを繰り返し、当時の行動を振り返ってもらい、どんな思いだったか、その後、どう思ったか、いまや未来の若者に何を伝えたいかを聞いた。

映画「BlueIsland 憂鬱之島」のドラマパートの一場面「抗議」=クラウドファンディングのウェブ画面から

今も昔も自由を求めてきたのは庶民

 プロジェクトでは、半世紀に及ぶ画像や資料を集め、内外の歴史を組み立て直した。3人の過去は、ドラマの形で再現した。ドラマ部分は、いま香港で民主化闘争をしている若者たちが出演している。

オンラインで記者会見する香港側プロデューサー、ピーター・ヤムさん
 製作者のヤムさんは言う。

 「香港は、一貫して自由を求めてきました。それをきちんと再現したかったので、情景(ロケーション)から道具、衣装にいたるまで緻密に再現しました」

 「いま年老いた人たちも、1960~80年代は若者でした。今と昔は共通点もあるし、異なる部分もある。彼らがいまも信念を持ち続けているか、若者の運動に対してどう思っているかを聞きました。また、いつの時代も、自由を求めた人は有名人ではなく庶民でした。いま、同じ香港で暮らす人々が些細なことで刑務所に行くこともありますが、私たちの経験は特別なことではありません。かつて(冷戦時代に)東ヨーロッパで起きたことと同じなのです」

次代も「ゴチャゴチャした国際都市」であり続けてほしい

 その抵抗する人々、民主を求め続ける人々の精神が「国際都市・香港」を作りあげてきたという自負に似たテーマも根底に流れている。

 「香港のすばらしいところは、ゴチャゴチャしているところ。どんな人も楽しく生活できる国際都市として存在し続けていることです。私は48歳になりますが、年齢を重ねるにつれ、若者にとって引き続き香港が国際都市であり続けて欲しいし、我々の努力で次の世代にもすばらしい香港を残していきたいのです」(ヤムさん)

2014年の雨傘運動。香港の中心街を占拠して1カ月になるのに合わせてシンボルの傘を一斉に開くデモ参加者ら=香港・金鐘

「豆腐屋だから豆腐しか作らない」

 香港では、立法会(議会)の議員やジャーナリズムが弾圧を受けている。ただ、音楽家や映画人らアーチストには、いまのところ弾圧の手は伸びていない。

 「映画づくりで危険を感じたり敏感になったりすることはないのでしょうか」という記者側の質問に対して、ヤムさんは「皆さんそう思うかもしれないが、現場的にはそうでもない。撮影にも協力的な方ばかりだった」と述べた。

撮影現場の様子=映画「BlueIsland 憂鬱之島」のクラウドファンディングのウェブ画面から
 また、映画人としての自身の「リスク」について、ヤムさんは日本映画界の巨匠、小津安二郎監督の言葉を引いた。

 「小津監督は

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