政府は今国会で成立目指すが、立法の必要性みあたらず
2021年04月26日
作品のなかで、主人公のすずが、呉湾に停泊している艦船をスケッチしていたところ、憲兵に見つかり怒られるというシーンがあります。これは、呉湾が要塞であり「要塞地帯法」の指定を受けていた時期があることや、「軍機保護法」に触れるおそれがあったことによります。
1899年に成立した要塞地帯法は、国防を理由として、要塞を中心に一定距離内を要塞地帯と指定し、この地域において、立入り、撮影、模写、測量、築造物の変更、地形の改造、樹木の伐採などを禁止もしくは制限し、罰則を設けて厳重に保護していました。
また、軍機保護法は、軍事機密を保護の対象とし、これらの探知、収集、漏洩を処罰するとしていました。具体的には、軍港などの港湾、砲台、その他国防のために建設した防禦営造物、軍用艦船、軍用航空機、兵器、軍需品工場、その他の軍事施設について、測量、撮影、模写、録取などを禁止・制限していました。
要塞地帯法も軍機保護法も、先の大戦後に、勅令により廃止されました。
ところが、今国会(第204回国会)に、要塞地帯法・軍機保護法を彷彿とさせるような法案が提出されました。それが、自衛隊や米軍などの施設周辺の土地の利用を規制する法案(土地規制法案)です。本稿では、この法案の問題点について検討したいと思います。
今年3月26日に閣議決定され、国会に提出された法案ですが、正式には、「重要施設周辺及び国境離島等における土地等の利用状況の調査及び利用の規制等に関する法律案」と長い名称になっています(法案の全文は、衆議院のホームページで確認することができます)。
政府は、今国会での成立を目指していますが、この法案は、日本国憲法の平和主義との関係や個人情報保護、プライバシー権との関係、所有権保護との関係などで多くの問題点を有しています。
法案の内容を見ていく前に、私の立ち位置というか、スタンスについて、法案の前提にかかわるものでもあり、読者のみなさんとの関係でも公正だろうと思いますので、先に少し触れておきたいと思います。
私自身は、日本国憲法に照らして、自衛隊という組織がまるごと違憲だと解釈されることはないという立場です。
日本国憲法は自衛隊という組織を違憲だと明示してはいませんし、そもそも日本国憲法には自衛隊という文言がありません(日本国憲法の制定が自衛隊の成立よりも先なので当然ですが)。実際にも、自衛隊という組織は様々な役割を担っていますし、そうした点を見ることなく一刀両断的に憲法判断を行うことには私自身は否定的です。
むしろ、第9条との関係では「戦力」に該当するか否かが一つの問題となってきたわけで、該当するか否かは、自衛隊が有する様々な機能について、機能ごとに判断されるべきだと考えています。
たとえば、自衛隊が果たしている災害救助の活動について、これを違憲などという必要は全くないと考えています。同様のことを消防隊員が行ったら合憲で、自衛隊員だったら違憲などと解するのはナンセンスでしかありません。
こうした私のスタンスをふまえて、今回の法案についていえば、たとえば自衛隊のいかなる機能を保全しようとするのか、その目的は憲法適合的なものか、憲法適合的だとして、そのために現行法では不十分であり、新たな立法を必要とする事情があるのか、こういった観点から評価することになります。以下、詳しくみていきたいと思います。
日本国憲法は、先の大戦に対する痛烈な反省もふまえ、前文や9条に具体化された平和主義を掲げ、軍事的なるものに公共性を認めていないと学説上も解されています。
そうした憲法の原則をふまえ、土地収用法は、「土地を収用し、又は使用することができる公共の利益となる事業」(第3条)に防衛にかかわるものを含めていません。自衛隊の活動に関する唯一の例外は、自衛隊法103条に規定される防衛出動の際の土地等の使用です(なお、米軍については、土地収用法の特別法として駐留軍用地特別措置法がありますが、同法はそれ自体が違憲との批判も多いものです)。
しかし、今回の法案は、その目的に「安全保障に寄与すること」を掲げ、基地の周辺区域や国境離島などを対象としていることに示されているように、軍事的な観点から国民の私権を制限しようとするものです。
すでに、小型無人機等飛行禁止法(ドローン規制法)によって、基地周辺の空域利用が規制されていますが、今回の法案はそれに続き陸上区域の利用を規制するものと評することができます。
「必要性の前に法は無し」――これは、有事の本質を語る際にしばしば用いられる表現ですが、今回の法案は、戦時を想定し、その前段階として個人情報を収集し、阻害行為を制限するものであり、有事法制の一環として、平時の有事化をさらに進めるものでもあります。こうした発想自体が、日本国憲法の平和主義と正面から衝突することになります。
今回の法案は、法案を貫く考え方や発想だけでなく、法案の内容それ自体にも数々の問題点や欠陥があります。
まず、そもそも今回の法案には立法事実がないといわざるをえません。
法案を推進する人々は、北海道苫小牧市や長崎県対馬市の自衛隊基地周辺の土地を外国資本が買収したことを問題視しているようですが、防衛省は全国約650の「防衛施設」に隣接する土地を調査した結果、「現時点で、防衛施設周辺の土地の所有によって自衛隊の運用等に支障が起きているということは確認をされていない」(2020年2月25日、衆院予算委員会第8分科会)としており、私権を制限しなければならないような立法の必要性を裏づける根拠は認められません。
外国資本による土地などの購入が、安全保障上のリスクになるという発想は、周辺国に対して不安を覚えている人たちに対してはそれなりに説得力のある話のようにも聞こえますが、外国資本というだけでリスクだと評価する考え方は、行為態様に着目するものではなく属性に着目するものであり、極端化すると敵か味方かという二項対立を煽ることにもなりかねません。
現実にも、国境を越えた経済活動や人的な交流は進んでいるのであり、こうした考え方の前面化は、周辺国との間で対立を煽ることになりかねず、かえってその方がリスクだと思われます。
次に、法案は目的として、「国民生活の基盤の維持並びに我が国の領海等の保全及び安全保障に寄与することを目的」を挙げていますが、「基盤の維持」や「安全保障に寄与する」といった表現はあまりにも抽象的に過ぎます。
確保されるべき機能というものが想定され、その確保が現行法では難しいことから、新たな立法が必要とされるというはずなのであって、しかも内容として私権の制限を含むものなのですから、目的はできる限り具体的かつ明確なものであるべきです。
とくに、安全保障の分野については、高度に政治的な問題であるとして、ややもすれば一般には知らせない、あるいは知らなくてよい、という雰囲気がないわけでもありません。しかし、安全保障といいさえすれば何でも許されるわけではありません。
平時の段階から私権を制限する内容でもあり、法案程度の目的規定では、制限の必要性が根拠づけられたとは評価できません。
また、内閣総理大臣は、調査のために必要がある場合、関係行政機関の長などに対し、「注視区域」とされた土地等の利用者らの氏名や住所などの情報提供を求めることができるとされ、「特別注視区域」の特定重要施設周辺の土地取引については、事前の届出も義務づけるとされています。
この点は、そうした提供される情報の対象や、あるいは届出をしなければならない内容を誰がどういう手続で決めるのかというのが重要ですが、法案は、提供の対象となる情報は政令で追加でき、届出内容も内閣府令で追加できるとしており、広範な裁量が、国会のチェックも及ばない形で、政府や内閣府に与えられることになっています。
裁量の濫用が懸念されるところであり、調査項目が歯止めなく拡大し、プライバシーと衝突する、あるいは戸籍や職歴などと照合して、調査が思想・信条に立ち入る、そうしたおそれが存するところです。
しかも、調査のためなお必要があると認めるときは、土地等の利用者その他関係者に対し、報告や資料の提出を求めることができ、提出しなかったり、虚偽の報告をしたときは処罰するとなっています。こうした懸念に対して、「個人情報の保護に十分配慮しつつ」、「必要な最小限度のものとなるようにしなければならない」(第3条)と規定されてはいますが、歯止めとなる担保は何もありません。
そして、こうした懸念が杞憂かといえば、現に、自衛隊は、イラク派兵に反対する市民活動を監視し、個人の氏名や職業、支持政党まで情報を収集・保有していたことについて、裁判所から違法だと判断され、賠償を命じられたという過去を有していることは、看過されるべきではありません。
さらに、法案は、「施設機能」や「離島機能」を「阻害する行為」を規制対象とし、中止などの命令違反について、懲役もしくは罰金刑の対象としていますが、「防衛関係施設の我が国を防衛するための基盤としての機能」、「有人国境離島地域離島の領海等の保全に関する活動の拠点としての機能」など、「機能」の内容は曖昧であり、抽象的です。
同様に、「阻害する行為」という文言も広範にすぎ、定義の体をなしているとはいえません。報道では、電波妨害や偵察などが「阻害する行為」として想定されているそうですが、「阻害する行為」の解釈次第では、自衛隊基地の建設に反対する市民運動や基地監視活動などが含まれる危険性もあり、こうした活動は憲法上保障された市民の政治活動でもありますから、そうした活動に対する萎縮や弾圧につながるようなことがあれば大問題となります。
法案では、そうした危険性を排除しようと配慮がなされた形跡はなく、規定上も工夫が凝らされているわけでもありません。罰則を予定し、濫用の危険性があることをふまえると、この規定をそのまま法律とすることには大きな問題があるといわざるをえません。
加えて、法案は、自衛隊や米軍の基地であれば一律に「重要施設」としていますが、これらの施設も多種多様で、全てを重要な施設として扱わなければならない必然性はありません。
たとえば、私の実家がある福岡県久留米市には、陸上自衛隊久留米駐屯地があり、西部方面混成団などの部隊が駐屯しています。隣接する前川原駐屯地には幹部候補生学校があります。さらには高良台演習場もあり、別の場所には火薬庫もあります。航空自衛隊の高良台分屯基地もあり、地対空誘導弾ペトリオット(PAC-3)が配備されています。このように、目的や役割の異なる施設がいくつもあるわけですが、共通しているのは、いずれも1キロ以内には民家や民間施設があるということです。
久留米市でもこのような状況ですが、とくに沖縄県や神奈川県では米軍基地の多くは市街地にありますから、多くの民有地が制限を受けることになります。地価などに影響を与え、資産価値が減少する可能性もあるでしょう。
自衛隊や米軍の施設を一様に「重要」とする発想そのものに、軍事的な必要性が一般国民の権利に優位するという価値観が表れているのではないでしょうか。一律に「重要施設」とする規定は、あまりにも乱暴だといわざるをえません。
上記のとおり、今回の法案は、平和主義との関係はもちろんですが、それ以外にも多くの問題があります。そうしたなかでも、新たに立法しなければならない必要性を何ら具体的に根拠づけられないというのは、今回の法案の決定的で根本的な欠陥です。
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