社会やメディアに根付く「夫が主で妻が従」意識が、選択的夫婦別姓実現を阻んでいる
2021年04月28日
僕と妻の柏木規与子は、1997年、米国のニューヨーク市で正式に結婚した。
アメリカを含む日本以外の国では、結婚の際に「夫婦別姓」か「夫婦同姓」を選択することができる。結婚によって同化・融合するというより、お互いの違いやルーツを尊重しながら仲良くやっていこうと思っていた僕らは、迷わず「別姓」を選んだ。
僕も柏木も自分の名前で仕事をしてきたことも、別姓を選んだ大きな理由の一つだった。映画作家として活動してきた僕にとっても、映画プロデューサー・舞踊家・太極拳師範として活動してきた柏木にとっても、名前はすなわち「ブランド」であり、それを変更することにはデメリットしかない。
少なくとも僕は自分の名前を変えたくなかったし、これから生涯のパートナーとなる人に、自分が嫌だと思うことをお願いするのも嫌だった。
しかし周知の通り、日本で婚姻届を出す際には氏を統一しなければ受理されない。したがって、僕らは夫婦としての戸籍を新設することができない。
一方で、日本の通則法第24条には、「婚姻の方式は、婚姻挙行地の法による」と定められていることを知った。つまりニューヨークの法律にのっとって行われた僕らの婚姻は、日本国内でも有効なはずなのだ。
これはどう考えても、日本の法律同士が矛盾している。僕らの戸籍が作成されないのは、戸籍制度の不備であろう。その結果、僕らは税制や相続などで不利益を被りうるのだ。
そう考えて、2018年6月、僕と柏木は「夫婦別姓確認訴訟」を提起し国を訴えた。代理人は夫婦別姓訴訟弁護団。みなさん手弁当のボランティアである。
そして4月21日、その判決がついに東京地裁で出された。
判決文で裁判長は、通則法第24条を根拠に「婚姻自体は成立していると解するほかない」と明記し、僕らが日本でも法律的な夫婦であることを認定した。
僕らの請求自体は退けられたので、形式的には「敗訴」である。
しかし訴訟の一番の目的は、米国での僕らの婚姻が、日本でも有効であることを裁判所に「確認」してもらうことにあった。そういう意味では、実質的には「勝訴」であると肯定的に受け止めている。
実際、婚姻が有効であることを明確に断定してもらって、個人的には相当にホッとしている。というのも、裁判で国側は「お前らは氏を統一していないから、結婚は成立していない。だからどちらかが死んでも相続もできない」と主張していたからだ。
その暴力的とも言える主張を法廷で実際に聞いたときには、かなりギョッとしたし、ショックだった。このまま国の主張が認められてしまったら、僕と柏木は法的には赤の他人だということになってしまう。20年以上の結婚生活が、全否定されてしまう。それは不条理を超えて、一種の恐怖だったのである。
だから裁判長が国側の主張を明確に否定してくれたことは、当然とはいえ、本当によかったと思う。それに通則法24条は海外で同性同士が結婚する場合にも適用されるはずで、そういう意味では同性婚の法制化を進める上でも意味のある判決なのではないか。
同時に、この判決によって、戸籍制度の不備がより一層、明確になった。
なにしろ、僕らの結婚は有効に成立しているのにもかかわらず、現時点ではそれを戸籍に反映されるシステムが存在しないのである。要は戸籍制度が僕らの婚姻を把握できない状況なのである。
このままでは、さまざまな問題が生じうる。
たとえば、僕が柏木以外の女性と、あるいは柏木が僕以外の男性と、婚姻届を出したらどうなるか。現状では僕らの戸籍には婚姻の事実が記載されていないので、役所はおそらく受理してしまうだろう。つまり法律で禁止されている重婚を防げない。
それに婚姻が成立していても、戸籍に反映されるカップルと、反映されないカップルがいるのでは、法の下の平等が保障されていない。要は違憲状態である疑いが強いのである。
先述したように、形式的には国が勝訴しているので、国側は控訴することができない。したがって僕ら原告が控訴しなければ、判決は確定する。
では、僕と柏木はどういう選択をするのか。
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