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「ワシントン・コンセンサス」の消滅と新しい「ワシントン・コンセンサス」

新自由主義の総本山IMFもパンデミック下で財政規律一辺倒から転換

塩原俊彦 高知大学准教授

 2021年4月11日、「ワシントン・コンセンサス」を提唱したジョン・ウィリアムソンが83歳で亡くなった。彼の唱えたワシントン・コンセンサスは彼の死とともに消滅してしまったのかもしれない。ここでは、国際通貨基金(IMF)と世界銀行の本部が置かれたワシントンD.C.においてワシントン・コンセンサスが果たしてきた役割を説明し、それが現在、ワシントンにおいてどう変貌しているのかについて論じてみたい。

拡大Bumble Dee / Shutterstock.com

三つの異なった意味をもつ「ワシントン・コンセンサス」

 実は、このワシントン・コンセンサスという言葉は1989年以降、長く使われるなかで、さまざまの意味をもつようになっていった。ウィリアムソン自身の整理によると、三つの異なる意味をもつようになったとしている。2004年1月13日、彼が世銀で行った「開発のための政策的処方箋としてのワシントン・コンセンサス」という講義のなかで明らかにしたものだ。

 第一の意味は、ウィリアムソンが当初使ったオリジナルの意味である。それを理解するためには、時代背景を知る必要がある(The Economistに掲載された記事を参照)。1960年代から1970年代にかけて、好景気に沸くラテンアメリカ諸国は、インフラ整備や工業化のために多額の借金をしていた。1980年代初頭に金利が急上昇したことで、これらの借金は返済不能となり、債務不履行の危機に陥る。米国の政治家たちは、自国の銀行の損失を心配して、ラテンアメリカからできるだけ多くの返済を引き出すための計画を次々と打ち出す。

 だが、ラテンアメリカの政府が各国の経済構造全体の改革、すなわち、構造改革に関心がないことに不満を感じていたウィリアムソンは、当時、現在のピーターソン国際経済研究所(シンクタンク)に移籍していたこともあり、このような誤解を正すための会議の開催を提案した。ワシントン・コンセンサスとは、その場で彼が「1989年の時点で、ラテンアメリカのほぼすべての国で望ましいとワシントンで広く合意されている」と主張した、10項目からなる具体的な政策改革のリストを指していた。

 ウィリアムソンは自分のオリジナルの意味が徐々に別の意味に変化してゆくことに忸怩たる思いでいたことだろう。たとえば、彼は「公共支出を、政治的に微妙な分野(経済的リターンが正当化できる以上の資源を受け取っている)から、経済的リターンが高く、初等医療や教育、インフラなど、所得分配を改善する可能性のある無視された分野に向けること」を2項目に挙げている。そのうえで、「私が提唱したワシントン・コンセンサスは、多くの批判者の指摘に反して、公共支出の全般的な削減を求めたものではない」と、彼は講義のなかで指摘している。

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筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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