反腐敗策の四つの経路
ロビイ活動、多国籍企業、テロ活動への規制と人権保護
塩原俊彦 高知大学准教授
2021年3月17日付の「日本経済新聞電子版」は「日本の接待規制、国際標準に遅れ 米欧は透明化徹底」という興味深い記事を配信している。この記事が指摘するように、日本政府のこれまでの反腐敗のための対応は後手後手にすぎず、世界の潮流から周回遅れの状況にある。ここでは、何が問題なのかを筆者の腐敗三部作(『民意と政治の断絶ななぜ起きた:官僚支配の民主主義』[ポプラ社]、『なぜ「官僚」は腐敗するのか』[潮出版社]、『官僚の世界史:腐敗の構造』[社会評論社])を参考にしながら、論じてみたい。
贈与と返礼に潜む腐敗
腐敗を歴史的に概観すると、贈与と返礼という交換様式が賄賂の受け渡しに潜んでいることがわかる(詳しくは『官僚の世界史』を参照)。贈与と返礼である以上、この行為自体を「悪」とみなす視線はそう簡単には育たなかった。ゆえに、贈与と返礼の対象物を「賄賂」と名づけるようになるまでにも多くの時間を要した。将軍や裁判官のような上位者が賄賂を受け取ることを「悪」とみなし、収賄の罪に問うという視角は多くの国で比較的早い時期に生まれるが、賄賂を贈る側も罰するようになるのはそう簡単ではなかった。権力者である上位者が賄賂を強制するというやり方があったからである。
近代化によって、主権国家が生まれると、その主権国家を支える官僚や政治家の規律強化という視線が生まれ、それが公務員や政治家への収賄を厳しく罰する法制化につながった。同時に、賄賂を渡す贈賄側にも厳しい視線が注がれるようになる。権力者による賄賂の強制があった場合には、それを訴えればいいとの見方が育ってきたからだ。
奴隷制と腐敗

イギリスでの奴隷貿易廃止200年を記念して行われた「鎖の行進」=2007年3月23日、ロンドン
ここで唐突だが、人類が「悪」に立ち向かうために、それなりに努力してきたことを確認しておきたい。その典型が奴隷貿易の禁止であろう。まず世界の覇権国になりつつあった英国議会は1807年、奴隷貿易の廃止を決めた。1833年に帝国内での奴隷制が廃止された。米国の奴隷制廃止は1865年だ。フランスはフランス革命後の1794年に一度、奴隷制を廃止したものの、ナポレオン・ボナパルトはこれを復活した。だが、1848年の2月革命により再び廃止された。インドの奴隷制廃止は1843年、ブラジルでは1888年、中国では1906年である。
こうした世界各国での奴隷制廃止の広がりを背景に、1926年9月、奴隷条約がジュネーブで締結にされるに至る。奴隷制と奴隷貿易の廃止が決められたのだ。その後、1956年になって「奴隷制、奴隷取引および奴隷制に類似した制度および刊行の補足条約」が採択され、1957年4月に発効した。
奴隷制・奴隷貿易の廃止の歴史的変遷を顧みると、腐敗防止の実現にも相当長い年月がかかることが想像される。奴隷制や奴隷貿易が現在、消滅したわけではないが、その規模は大きく減少した(ただし、筆者の関心事で言えば、ソ連崩壊後、ソ連や東欧から多数の「性的奴隷」が欧米に送り込まれたという出来事があった)。同じように、腐敗も世界全体でもっと減らすことができないかという挑戦がすでに数十年にわたってつづいている。この流れは世界の覇権を握った米国によってつくり出されたものである以上、まず、米国の事情について知らなければならない。