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朝鮮戦争から見る台湾海峡有事のリスク~戦争に駆り出された日本人

歴史を繰りかえさせないためにも対米追従一辺倒からの脱却を

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

軍事輸送船になった優美な帆船・日本丸

 歴史を約70年前に巻き戻そう。平和憲法が施行されてまもない1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争で、GHQの指令によって多くの日本人が駆り出された史実をみたい。

 あまり知られていないが、太平洋に浮かぶ優美な大型練習帆船の初代日本丸(2278㌧)や、海上保安庁所属の旧日本海軍掃海部隊、民間の船乗りらが、朝鮮海域で米兵や韓国兵、武器・弾薬の輸送、掃海作業に携わった。日本国内では韓国兵らの軍事訓練がおこなわれ、旧国鉄がフル稼働して軍事輸送をすることとなった。

 たとえば、「太平洋の白鳥」と呼ばれた日本丸は、帆を降ろし船体を黒く塗り、「黒鳥」となってエンジンで航海。米兵や韓国兵、韓国人避難民らを輸送した。『練習帆船日本丸・海王丸50年史』(1980年刊)によると、日本丸は1950-51年にかけて九州・佐世保から韓国の釜山や仁川などに向けて3航海している。

拡大みなとみらい21地区に係留されている帆船日本丸=2018年6月13日、横浜市西区

 日本丸の航海日誌には、「(大分で)1950年10月23日18時、米兵8人と韓国兵512人が乗船」「韓国兵512人は(仁川で)10月29日6時に下船した」などと記録されている。朝鮮戦争当時に米軍が使用していた日本の演習場は全国各地に散らばるが、大分で日本丸に乗り込んだ韓国兵512人は、朝鮮半島にもっとも近い大分県の日出生台演習場で最後の軍事訓練を終えて出撃したと考えられる。

 憲法9条を掲げる平和憲法が施行されて3年後の日本で、米兵だけでなく韓国兵を軍事訓練して朝鮮半島の戦場に送り込んでいたという事実は、憲法違反に問われてもおかしくないのではないか。

 朝鮮戦争を契機に、GHQは日本の再軍備化を進め、自衛隊創設にいたった。日本の民間人の米国による戦争への動員は、占領という特殊な状況下において起こったことではなく、台湾有事においても同様のことがありうると考えるべきではないか。

戦後初の「戦死」を30年間近く秘匿

 朝鮮戦争開戦から約3カ月後、海上保安庁特別掃海隊が戦乱の朝鮮海域に動員された。
期間は2カ月あまり、技術の高さに定評がある約1200人の旧海軍軍人が掃海艇46隻に乗り込み、元山、群山、仁川などの海域で掃海に従事した。機雷27個を処分し国連軍の軍事作戦に寄与したものの掃海艇1隻が触雷・沈没、死者1人と重軽傷者18人をだした。

 だが、戦後に「戦死者」をだしたことと、旧日本海軍軍人を出動させた事実は30年間近く秘匿された。

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筆者

徳山喜雄

徳山喜雄(とくやま・よしお) ジャーナリスト、立正大学教授(ジャーナリズム論、写真論)

1958年大阪生まれ、関西大学法学部卒業。84年朝日新聞入社。写真部次長、アエラ・フォト・ディレクター、ジャーナリスト学校主任研究員などを経て、2016年に退社。新聞社時代は、ベルリンの壁崩壊など一連の東欧革命やソ連邦解体、中国、北朝鮮など共産圏の取材が多かった。著書に『新聞の嘘を見抜く』(平凡社)、『「朝日新聞」問題』『安倍官邸と新聞』(いずれも集英社)、『原爆と写真』(御茶の水書房)、共著に『新聞と戦争』(朝日新聞出版)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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