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米軍撤退に揺れるアフガニスタン タリバンはなぜ復活したのか?

ボン和平会議から20年。民主主義は根付かず、イスラム過激主義が復活

川端清隆 福岡女学院大学特命教授(元アフガン和平担当国連政務官)

放置された「パキスタン問題」

タリバンの起源はパキスタン

 極端な女性差別など過酷な統治で有名になったタリバンであるが、その起源がアフガニスタンではなく、隣国のパキスタンにあることはあまり知られていない。

 パキスタンで生まれ、パキスタンによって成長し、パキスタンによって操られるタリバンに対応するためには、同国にアフガン政策の抜本的な変更を迫る必要がある。しかし、パキスタンのアフガン政策の根底にあるインドとの緊張が和らぐ兆しは見えず、「パキスタン問題」は放置されたままである。

 タリバン運動は、1990年代の初期にパキスタン北西部のアフガン難民キャンプの若者の間で発生した。ソ連軍の撤退後に骨肉の権力闘争を繰り広げるムジャヒディン(聖戦の戦士)を見限った若者たちが、「我々こそ真のイスラム教徒である」と宣言して、祖国を「腐敗した似非イスラム教徒」から解放するために立ち上がったのである。

 この新興勢力を強力に後押ししたのが、対インド戦略の観点からイスラム原理主義勢力を支援するパキスタン軍部であった。パキスタン軍にとって、アフガニスタンは将来の対インド戦で兵器や部隊を温存できる後背地にあたり、国防上の「戦略的深み(strategic depth)」を担保する重要拠点なのである。このためパキスタンは、ヒンズー教のインドに絶対に与しないイスラム教原理主義政権をカーブルに打ち立てることを、至上命題と信じて疑わないのである。

 パキスタン軍とイスラム教原理主義との深い関係は、「公然の秘密」として広く知られている。例えば、パキスタンは長年にわたって、9・11テロを首謀したオサマ・ビンラディンはアフガニスタンの山岳地帯に潜伏していると主張してきた。ところが、アルカイダの最高指導者が2011年5月2日に米軍特殊部隊によって殺害される直前まで潜んでいたのは、アフガン辺境の洞窟ではなく、パキスタン軍が陸軍士官学校を置くアボッターバードというイスラマバード近郊の町であった。

 国連はこれまで、パキスタン軍の中でタリバン支援を統括する統合情報局(ISI)と何度か接触を試みた。しかしISIは、「タリバンは自律的な運動で、我々は一切関わっていない」とはぐらかすだけで、実質的は交渉には至らなかった。アフガニスタンを自国の裏庭のように扱う露骨な干渉を見かねた国連は、9・11テロの前に数度にわたりパキスタンに対して異例の警鐘を鳴らした(注3) 。

注3:例えば、アナン事務総長は1999年8月6日に「今や数千人の非アフガン人が(タリバンの戦闘に)加わっている」と指摘した(DPI Press Release SG/SM/7090)。続いて彼は、同年9月21日の安保理と総会への報告書の中で「タリバンの攻勢は、パキスタンのマドラッサ出身の多くの非アフガン人を含む2千から5千人の新兵によって補強されている」と述べ、あからさまにパキスタンを非難した(事務総長報告書A/54/378-S/1999/994)。

安全地帯となった国境沿いの部族地帯

拡大銃を構えるイスラム武装勢力「パキスタン・タリバーン運動(TTP)」の戦闘員=2021年4月、TTP広報機関の映像から

 パキスタン国内でイスラム原理主義の温床となっているのは、アフガニスタンとの国境に沿って広がる部族地帯(tribal areas)である。英領インド時代から中央政府の統治が及ばないこの地帯では、タリバンの母体であるパシュトゥン族が居住して、厳格なイスラム法に基づいた社会生活を営んでいる。

 そんな部族地帯はタリバンにとって、米軍が容易に手を出せない格好の安全地帯となった。このため米軍は、2千キロ余りにわたる国境線の到る処で自在に現れては消えるタリバン兵を追い回すという、「モグラ叩き」のような消耗戦の泥沼に引き込まれた。圧倒的な軍事力を持つ米軍が、近代兵器を持たぬゲリラ勢力にすぎないタリバンに手を焼いたのはこのためである。

 国連は9・11テロの前に、パキスタンからの武器や兵員の流入を制限するための国際監視に必要な兵力を非公式に試算したが、10万人もの兵員が必要との結果となり政策の選択肢とはならなかった。

 タリバンによる女性差別は、女子の小学校の閉鎖、女性の就労の禁止、男性医師による受診の禁止、全身を覆い隠す伝統衣装「ブルカ」着用の強制、など常識外れの措置が含まれるが、同様の因習は部族地帯にもみられる。ちなみに、女性教育の重要性を訴えた当時15歳の少女マララ・ユスフザイが、2012年10月9日にタリバンによって銃撃され、瀕死の重傷を負ったのもこの部族地帯であった。

 米国のオバマ政権はパキスタンがアフガン和平のカギを握ると判断して、アフガン問題をパキスタンがらみの「アフパック(Af-Pak)問題」と再定義したうえで、リチャード・ホルブルックを特使に任命した。ボスニア紛争の終結に尽力したホルブルックであったが、インドとの領土問題を抱えるパキスタンの反インド感情は根深く、目立った成果をあげられなかった。

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筆者

川端清隆

川端清隆(かわばた・きよたか) 福岡女学院大学特命教授(元アフガン和平担当国連政務官)

大阪府出身。通信社を経て1988年より25年にわたり国連本部政治局で政務官として勤務。アフガン和平交渉やイラク戦争の戦後処理に関わった後、2004年以降は安保理担当として第二次核危機以降の北朝鮮の核ミサイル問題に関する審議に関わる。2013年より現職。著書に「アフガニスタン 国連和平活動と地域紛争」(みすず書房)や「イラク危機はなぜ防げなかったのか 国連外交の六百日」(岩波書店)。共著に「PKO新時代 安保理からの証言」(岩波書店)。

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