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慰安婦運動の「聖域」崩れ、歴史を理性的に見る時

東亜日報元編集局長、沈揆先さんに聞く

箱田哲也 朝日新聞論説委員

 韓国の有力紙、東亜日報の元編集局長、沈揆先(シム・ギュソン)さんが、『慰安婦運動、聖域から広場へ』を2月に韓国で緊急出版した。慰安婦問題は深刻な女性の人権侵害問題であり、今現在も日韓政府間の懸案となっている。

 一方、この問題に長年携わってきた支援団体の存在は、その政治性や影響力が、また別の問題としてささやかれてきた。支援運動を引っ張ってきた象徴的な人物である尹美香(ユン・ミヒャン)氏(現・国会議員)が、韓国検察当局により、業務上横領罪などで在宅起訴されたことを受け、日本通の言論人である沈さんが鋭く切り込んだ。日韓双方の問題点を、沈さんに聞いた。

元慰安婦が暴いた支援団体リーダーの不正

 ――沈さんは1990年代後半から、慶応大で研修されたり、東京特派員を務められたりして、日韓関係にも詳しいわけですが、本を出そうと決めた理由は何だったのですか。

沈揆先さん
 「慰安婦問題の最大の支援団体である『正義記憶連帯』(正義連、前身は『韓国挺身隊問題対策協議会』=挺対協)の前理事長、尹美香被告の事件が表面化したのは、メディアの批判や監視機能のためではありません。30年間にわたって、尹被告や支援団体と密接な関係を築いてきた元慰安婦である李容洙(イ・ヨンス)さんが、尹被告や組織の金銭問題を暴露したからです。

ソウル市が新たに設置した少女像に寄り添う元慰安婦の李容洙さん=2019年8月
 尹被告らが『生き証人』としてきた李容洙さん自身の問題提起に、反論などできなかった。その意味でメディアは今回、李容洙さんに大きな借金をしたと思っています。

 しかし、昨年5月に李容洙さんが証言した直後は活発だった報道が、検察が尹被告を在宅起訴した昨年9月以降は、急に減りました。事件の持つ意味や争点になる問題の事実関係、尹被告と支援団体の主張に対する反論など総合的にまとめる必要があるのに、それもやろうとする動きが見えない。本来であれば、現役の記者がやるのが最適なのですが、彼ら彼女らは経緯や知識が不十分で、何よりも時間の余裕がない。そのため、私が書かねばと考えたのです。

 ――私も慰安婦問題を取材しながら、韓国における支援団体の存在感の大きさはそれなりに感じてきました。実際にはどれほどの影響力があったのでしょうか。

 「これまで慰安婦問題をめぐっては、90年代の『アジア女性基金』など、いろいろな取り組みがありました。しかし、それがうまくいかなかった理由の一つに、支援団体の反対があったことは事実です。韓国政府ではなく支援団体が強力なキャスティングボートを握っていた。政府の方が支援団体の顔色をうかがわなければならないほどでした。

 支援団体が、慰安婦問題を韓国だけでなく国際的な女性の人権問題として普遍化した功績は私も認めます。しかし、日本との関係においては、『実現不可能な最善』にだけこだわって追求し、『実現可能な次善』を拒否してしまった」

社会に迎合してきた韓国メディア

 ――著書では、市民団体の力が増していった背景に、韓国メディアの問題があったと指摘されています。それは一つのタブー視、聖域視されてきたためだと。

ソウルの日本大使館近くで開かれる「水曜集会」に参加する「正義記憶連帯」の尹美香前理事長=2020年3月25日、東亜日報撮影
 「そうです。メディアが社会的な雰囲気に迎合し、支援団体を批判の対象から外してしまっていました。これはメディアとしての明らかな職務遺棄であり、私は今、後悔しています。

 本の中で、日本に関する報道には二つの『自己検閲』があったと書きました。一つは、日本を利する記事であり、もう一つは日本に厳しい団体を批判する記事。いずれも書くことが難しかったのです。前者はかなり改善されてきましたが、市民団体批判は困難なままでした。 『尹美香事件』は最後の聖域を崩したと言えます。

 そもそも韓国メディアが初めから聖域なしに取材執筆するという役割を果たしていれば、今回のような事件そのものが起きていなかったでしょう」

 「私は韓国における慰安婦問題は、日本の拉致問題に似ていると思います。ともに国が関与して人権を脅かした問題であり、国際的なテーマに飛び火しました。長い間、被害者が大きな声を出せずにいて、加害者に善処を訴える点も似ています。被害者を支援する組織に対し、たとえ異論があっても、正面から批判するのは難しいのは日本でも同じことではないでしょうか」

 ――出版後、韓国社会の反応はどうですか。支援団体からの反応や問い合わせ、抗議などがありましたか。

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