ワクチン接種をめぐる「想像力の萎縮」という病
政治家も公務員も「道徳的明快さ」に欠けてはならない
塩原俊彦 高知大学准教授
筆者には『すべてを疑いなさい』というKindle版の著書がある。少しばかり恥ずかしいが、そのなかでつぎのように書いたことがある。やや長くなるが、引用してみよう。
想像力豊かな行政サービスを提供する努力を
「歴史に学ぶ」
優れた情報源を確保できるようになったとして、予測の術を磨くにはどうしたらいいのだろうか。その答えも簡単だ。「歴史に学ぶ」のである。つまり、「未来」を予測するには、「過去」に学ぶしかないのだ。過去に学び、そこから想像力を働かせるしかない。過去に学ぶにはどうしたらいいのか。先達の業績に学ぶ、というのがその答えだ。先人たちが学んできたことを学び、かれらとは違う時代を生きている自分自身に、かれらの成果を投影して、予測に役立てるのだ。
ぼく自身の経験を話しておこう。ぼくは、最初、日本経済新聞社の記者をしているうちに、「先を読む」という「コツ」を自分自身で身につけた。その結果、大スクープこそ書けなかったけれど、特だねをたくさん書いてきた。しかし、そうしているうちに、過去をもっと詳しく知らなければ、「先を読む」ことの精度を上げられないことに気づいた。だから、大学院に入り直して勉強することにしたわけだ。そこで、「歴史に学ぶ」という訓練をしたあと、ぼくは朝日新聞記者になった。その結果、「先を読む」ことの精度は高まったと自負している。だからこそ、特だねを書く回数は増え、経済部で花形だった日銀金融記者クラブ詰めにもなれたし、モスクワ特派員にもなれた。
「遠くを見つめる眼をもちたい」
詩人・松永伍一はその著書にこうサインしてくれた。ぼくは「先を読む眼」をもちたいと願ったものだ。
こうした経路をたどってみて、いまさらながらに痛感するのは、過去の人々の限界である。歴史に学んでも、明るい未来を設計するのは難しい。現在から過去をみると、過去を生きた人々の叡智には限界がある。だから、過去にかかれた本のなかには、突っ込みどころが満載だ。たくさんの疑問点を見出すことができる。そう、胡散臭いことが実に多いのだ。
「すべてを疑いなさい」
だからこそ、「すべてを疑いなさい」といいたくなったのである。といっても、この教えはぼくの専売特許ではない。あのマルクスが自分の娘らに施した教育方針である。
実は、この「先を読む眼」は新聞記者だけに必要なものではない。ビジネスをするうえでも、行政サービスをするうえでも大切だ。とくに、他者よりも早くヒットしそうな商品を開発できれば、膨大な利益を得ることができるだろう。相場予想の精度が上がれば、カネもうけに直結する。
行政サービスの場合には、カネもうけに直結するわけではない。だからといって、将来起きそうなことに漫然としていては臨機応変な行政を行えず、国民の生命と財産を危険にさらしかねない。
言葉を換えていえば、想像力豊かな行政サービスを提供する努力を公務員がしなければ、国民は大きな損失を被りかねない。政治家も同じである。こんな問題について論じてみたい。