「皇位の安定継承」維持に迫るタイムリミット。有識者会議は議論加速を
2021年05月17日
皇室制度に関する近年の最大の問題は、皇位の継承が男系男子に限られている(皇室典範第2条)ことであり、男系男子の皇族の数が減少するにつれて、皇位の安定的継承の維持に不確実性が生じていることである。この背景に基づき、国会は、2017年6月に天皇退位の特例法を制定した際の付帯決議において、安定的な皇位継承を確保するための諸課題を、速やかに検討して報告するよう政府に求めた。
それから4年近くが経過した本年3月になって、ようやくこの問題を検討するための有識者会議が設立され、これまでに専門家からのヒアリングが3回行われた。国会からの要請以降これだけの時間が経過したにもかかわらず、これまでの会合の議事録や報道から見ると、審議には切迫感や緊張感が見られず、5月10日に開催された3回目のヒアリングについては、翌日の朝日新聞もわずか数行で開催の事実のみを報じた。また加藤勝信官房長官が第1回の会合で「スケジュールありきではなく、落ち着いた議論をしっかりやっていただきたい」と述べたことに表れているように、報告書取りまとめ時期のめども立っていない。
政府内部には、皇室典範の規定に従い秋篠宮家の長男・悠仁さままでの皇位継承順位は決まっているから、安定的皇位継承の議論は急ぐ必要がない、との考えが支配的との観測がある。
しかしながら、女性天皇と、母方にのみ天皇の血をひく女系天皇のどちらについても、世論の7割以上が「認めてよい」としている現実に照らすと、今年12月に20歳になる天皇家の長女・愛子さまが結婚適齢期に近づく両三年以内に結論を出さないと、50歳以下の皇位継承有資格者は悠仁さま一人に限定されてしまい、安定的皇位継承は極めて危うい局面を迎えることとなる。
そもそも、安定的皇位継承を検討するためには、小泉純一郎内閣時代の2005年11月に、「皇室典範に関する有識者会議」の報告書が提出されているが、今回の有識者会議は、それとどこが違い、何を追究しているのであろうか。また、その後2012年10月には野田佳彦内閣が、皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえて、女性宮家の創設を含む論点整理をまとめたが、それは今回の作業において如何に活用されるのであろうか。
2005年の有識者会議は、約1年をかけて皇位の安定的継承に必要なあらゆる要素を慎重に検討した結果、「古来続いてきた男系継承の重さや伝統に対する国民の様々な思いを認識しつつも、我が国の将来を考えると、皇位の安定的な継承維持のためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠であり、広範な国民の賛同を得られるとの認識で一致するに至った」との結論を提言している。
小泉内閣は、これに基づいた形で皇室典範の改正法案を準備したが、翌2006年2月初めに、秋篠宮妃の紀子さまのご懐妊を宮内庁が発表してからは、慎重な態度に変わり、同年9月の悠仁さまのご誕生により、皇室典範改正法案は国会に提出されることなく現在に至っている。
この報告書は、小泉内閣の退陣とともに消滅したわけではなく、今回の有識者会議の配布資料の中にも、報告書の「概要」として1ページのメモが添付されている。しかしその結論部分の表現は、「安定的皇位継承のためには、女性天皇・女系天皇への途を開くことが不可欠」という提言の重要な結論が掲載されずに、「女子・女系への拡大は、象徴天皇制を安定的に維持するうえで、大きな意義」という別の部分からの引用となっているなど、意図的か否かは承知しないが、正確な「概要」とは言い難い面も否定できない。
したがって、今回の有識者会議は、本来的には2005年の報告書をベースとして作業を行うべきであり、専門家のヒアリングは既に13名から行ったのであるから、今後はそれを参考として議論を重ね、2005年の報告書の提言の中で修正すべきものを修正し、さらに2012年の女性宮家創設を含む論点とりまとめの内容も加味したうえで、最終的にはこれら三つの有識者会合の成果を一体化した報告書を速やかに作成すべきではないかと考える。
今回の有識者会議において意見を述べた何人かの専門家は、女性・女系天皇を認めるべきではないことの根拠として、「皇位を男系に限定することは、日本の皇室制度の根本であり伝統である」との趣旨を述べた。果たしてそれは客観的事実であるのかを検証してみたい。
まず明らかなことは、2000年余の天皇制の歴史の中で、女性天皇が8代10名おられたことであるが、そのすべては、同時期に皇位継承有資格者とみなされる男性皇族が生存していたにもかかわらず、該当者の年齢が若いことや朝廷内の権力争いなどの理由により女性天皇として即位したのである。
これらの女帝の役割は「中継ぎ」と称されることが多いが、初の女帝となった推古天皇は30数年間にわたって君臨し、摂政として重用した聖徳太子の活躍を通じて日本の国造りに多大な貢献をした。また女帝は日本の黎明期であった飛鳥・奈良時代のみではなく、国家として統一された後の江戸時代にも2例あったのであり、「女性天皇は日本の伝統から外れる」と決めつけることは正しくないと言わざるを得ない。
確かに、過去の女性天皇は、天武天皇と結婚した持統天皇の場合を除いてすべて自分の直系の子孫に皇位を継承させたのではなく、他の男系皇族が次の天皇となった。これを可能としたのは、皇位継承有資格者として男性皇族が少なからず存在していたことによるものであり、その背景として、側室制度が存在したことが否定できない。実際のところ、江戸時代以降の約400年間に即位した19名の天皇のうち、嫡出の天皇は実に、明生、昭和、現在の上皇と天皇のわずか4名のみである。
皇位が万世一系、男系により受け継がれてきたことが事実であるとしても、それが多分にこのような制度により可能となったことを想起すると、「皇位の継承は男系に限る」ということは過去の「慣例」でこそあれ、「伝統」という誇るべき制度とは言えないのでないか。
皇室の歴史に詳しい所功京都産業大学教授(当時)は、2005年の有識者会議のヒアリングにおいて、8世紀初頭に編纂された「大宝令」が、それまで推古天皇以来4名存在していた女性天皇を「最高法規である律令が公的に正当化した」と述べた。またこれ以降においても、明治時代になって憲法制定が検討されるまで、女性天皇を否定する趣旨の法令は見当たらず、明治初期より検討された大日本帝国憲法の草案においても、当初は「皇位継承は男系を優先するが、やむを得ざる時は女性皇族が皇位を継承する」ことを認める趣旨の内容であった。
しかし、その後の検討を経て、明治22(1889)年に制定された大日本帝国憲法(並びに皇室典範)において、「皇男子孫之を継承す」(憲法第2条)と明記され、初めて女性・女系天皇は法的に否定されたのである。
太平洋戦争の敗戦によって、日本国民の基本的価値観並びに国の根幹をなす多くの法体系及び制度が根本的に変化したが、新憲法における天皇の地位は、統治者としての元首から、日本国及び日本国民統合の象徴を示す象徴天皇へと変化し、それに伴い旧憲法において天皇が保持していた統治権ほか多くの権能が削除または法律事項に格下げとなった。この関連で注目すべきことは天皇の世襲制が新憲法においても第2条として維持されたことに比して、旧憲法においては明示されていた男系男子による継承(第2条)は、新憲法からは削除されて皇室典範上の規定に格下げされたことである。
これは象徴天皇制とその世襲性については、将来とも変えるべきではないという新政府と国民の意思の表れであろう。他方、男系男子による継承については、将来の変更の含みを持たせて、皇室典範上の規定にとどめたと理解される。もし、男系男子による継承が絶対的に守るべき伝統であるならば、新憲法第2条において、「皇位は世襲のもの」と規定すると同時に、旧憲法と同様に「男系男子による継承」を明記すべきであったと考える。
この点に関しては、新憲法制定時における国会の審議が参考になる。昭和21年の衆議院本会議(12月5日の皇室典範案第一読会)において、女性天皇を認める考えはないのかとの趣旨の質問に対して、法案担当の金森徳次郎国務大臣は、「今日の現状におきまして、直ちに女性の天皇の制度をはっきりと認めますことは、なお相当の研究の余地を残しておるものと存じます。……今後の研究によりまして、十分論究を進めてまいりたいものと考えております。」と答弁している。
さらに同大臣は翌週の衆議院皇室典範案委員会においては、「……(皇室典範は来年の)5月3日までにぜひとも完備いたしまする立場から言うと、これは将来の問題に残して、万遺漏なき制度を立てることが、われわれの行くべき道であろう……」と答弁し、とにかく皇室典範は憲法と同時に施行できるように急ぐ必要があり、女性天皇・女系天皇のように難しい問題は、先送りしたいとの意向が明確に読み取れた。
以上により明らかな通り、日本の長い天皇制の歴史の中で、「皇位の継承は男系男子に限る」という発想は決して伝統ではなく、合理性もないと言えよう。
比較的若年世代の皇位継承の資格者が複数存在した昭和時代までは、皇室典範の規定により、皇位継承が男系男子に限られていることの現実的な不都合はなかったかもしれないが、50歳以下の該当者が悠仁さまお一人という今日の状態は、早急に是正する必要が明白である。
そのための方策として、昭和22(1947)年に皇籍離脱した旧11宮家の男子またはその子孫の男子を皇族に復帰させる案は、2005年の有識者会議報告書においても明らかに否定された通り、あまりにも非現実的で国民感情から受諾できないので、残された選択肢は、女性天皇・女系天皇を認めること以外に考えられない。皇位継承の条件としてジェンダーの要素を排除するというこの考えは、世界の他の君主国の例との比較や憲法第14条の法の下の平等を持ち出すまでもなく、各種世論調査において明確になっている通り、国民が幅広く支持しているところである。
問題の核心は、女性天皇・女系天皇を認めたうえで、実際の皇位継承順位をどうするかである。
具体的な論点は三つあって、第一は、天皇直系を優先するか、あるいは直系以外でも長子を優先するか、第二は、兄弟姉妹間で長子優先とするか、あるいは男子優先とするか、第三は、すでに決まっている継承順位を変更するか、あるいは決まっている順位は変えないで、新たな継承資格者の順位はその後とするかである。
第一と第二については、あまり議論をする必要もなく、まずは天皇直系を優先とし、その中では長子優先とすることが常識的と考える。
第三の問題は、既存の継承順位を変更することにもなるので、大変機微な問題である。具体性を持たせるために、敢えて固有名詞を用いると、女性天皇を認めることは、愛子さまの継承順位が第1位となり、現天皇から皇位を継承するのは、皇嗣であられる秋篠宮さまではなく、愛子さまになることである。そしてその次の天皇は、もし愛子さまにお子様ができれば、男女を問わずその方になり、悠仁さまにはならない。しかしこれでは、折角の女性天皇・女系天皇の容認が、家と家との葛藤を招くようなことにもなりかねず、国論も大きく割れてしまう恐れが強い。
筆者は、一昨年11月に安定的皇位継承問題について論座に寄稿した「女性・女系天皇は不可避~実際の皇位継承順位は?」では、上記の問題点を意識して、実際の皇位継承順位は既存の順位を変更しない形で行うべし、との趣旨を書いた。これに対しては、その案では、女性天皇が誕生するのは早くて、悠仁さまが天皇に即位してさらに退位する時であり、今から数十年後あたりの話になるので、今、女性・女系天皇を決める意味がない、とのご批判をいただいた。
また、今回の有識者会議の開催を報じたメディアの中には、今回の検討作業は「前提として現在の継承順位は変えない」と書いたものもある(なお、内閣府幹部は、筆者よりの照会に対して、かかる記事内容を否定して、継承順位もヒアリングの設問に含まれている旨を答えた)。
本来であれば、実際の継承順位は、安定的皇位継承と一体として考えるべきものであるが、その結論に時間がかかることにより、女性・女系天皇の容認という重要な決定を行う時期が大幅に遅れることは避けねばならない。
したがって、女性・女系天皇の容認は可能かなぎり速やかに決定することが望ましいと考えるが、皇位継承順位の確定との関係でそれが容易ではない場合には、愛子さまがご結婚されてもされなくても皇位継承者となる道を残すためには、少なくとも女性宮家の創設は速やかに実現しなければならない。
なお、女性宮家の創設は、皇位継承の観点のみからではなく、女性皇族に皇室の活動を支援していただく観点からも重要である。女性宮家の創設は、皇室典範第12条(「皇族女子は、天皇及び皇族以外の者と婚姻したときは、皇族の身分を離れる。」)を削除または修正することにより可能となるので、女性・女系天皇の問題とは切り離して、先行決定することが可能である。
以上を踏まえて安定的な皇位継承を維持するための現実的な解決法として、以下を提案したい。
有料会員の方はログインページに進み、朝日新聞デジタルのIDとパスワードでログインしてください
一部の記事は有料会員以外の方もログインせずに全文を閲覧できます。
ご利用方法はアーカイブトップでご確認ください
朝日新聞デジタルの言論サイトRe:Ron(リロン)もご覧ください