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ひめゆりの塔を知っていますか? 戦争を知らない世代が歴史を学ぶ切実な意味

今春、展示を改装したひめゆり平和祈念資料館が志向するものは……

山本章子 琉球大学准教授

ハワイとひめゆり学徒隊との奇しき縁

 『ひめゆりの塔』は同年3月からハワイの国際劇場でも上映され、日本人移民の間で大きな話題となった。映画に登場する「宮城先生」という引率教師のモデルが、ハワイ生まれの親泊千代子さんであることも注目される。

 戦前から貧しかった沖縄では、国の奨励のもと1899年からハワイへの移民が始まり、アジア太平洋戦争前までに約2万人が沖縄からハワイへ移住した。千代子さんは1930年、8歳のとき家族でハワイから沖縄に引き揚げる。一高女への進学をへて東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)を1943年に卒業、母校の教師となったが、ひめゆり学徒隊に動員されて23歳で米軍の攻撃により死亡した。

 1953年3月21日の『ハワイタイムス』は、ハワイ出身であり、引率教師の中で唯一の女性だった「自決した親泊千代子教諭」の悲劇を取り上げている。記事は千代子さんの姉妹や友達の証言をもとに書かれており、「自決」という誤情報もそれに由来すると思われる。

 ちなみに、ひめゆり学徒隊の生存者たちが中心となって、戦争体験を語り継ぐため1989年に建てたひめゆり平和祈念資料館は、「沖縄戦・ひめゆり学徒隊の歴史を海外に伝える展示プロジェクト」を企画、その第一弾の開催地にハワイを予定している。2年かけた調査をへて、展示会の開催を計画していたが、新型コロナ感染の世界的拡大によって延期となっている。

 日本軍の奇襲攻撃でアジア太平洋戦争が始まった地であるハワイで展示会を開催するという、非常に興味深い企画の実現は、今のところコロナ禍の終息待ちだが、ひめゆり平和祈念資料館では2021年10月1日から翌22年2月27日まで、「特別展 ひめゆりとハワイ」を開催する予定だ。

拡大リニューアルされたひめゆり平和祈念資料館では、元学徒の証言映像に多くの人が足を止めて聴き入っていた=2021年4月12日、沖縄県糸満市

二つのリメイク版が興業的にふるわなかった理由

 1953年に『ひめゆりの塔』を手がけた今井正監督は、1982年に同映画を再製作する。1972年に沖縄の施政権が日本に返還され、念願の沖縄ロケが実現した。しかし、28年ぶりに再製作された「伝説の名画」は、邦画では20位前後の興行成績とふるわない結果に終わる。1995年にも、戦後50年記念映画として、別の監督が再製作した『ひめゆりの塔』が公開されるが、興行成績は邦画16位にとどまる。

 メディア社会史研究者の福間良明さんは、この二つのリメイク版がヒットしなかった理由について、当時の映画評論が、アジア太平洋戦争における加害責任の視点が欠けていると評したことを挙げている。

 1982年には、文部省が高校用教科書の検定で、日本の東南アジア侵略を「進出」に、1910年に日本が併合した韓国の三・一独立運動を「暴動」などと書きかえさせた事実が発覚する。中国・韓国からの抗議を受け、鈴木善幸内閣は是正を約束する。

 1995年にも、村山富市内閣が戦後50年に合わせ、アジア諸国への侵略・植民地支配に対する反省と、不戦・平和の誓いを明言する国会決議を採択しようとしたが、自民党の反対で玉虫色の文言に書きかわる。

 福間さんは、こうした時代的文脈の中で、『ひめゆりの塔』リメイク版に厳しい目が向けられたとしながら、当時の評論は、文部省が教科書検定で沖縄戦における住民虐殺の記述を削除させたなどの事実を無視しており、「沖縄への加害」の視点が欠如していたと指摘する。

 私はこれに加えて、1976年には戦後生まれの人口が戦前生まれを上回り、80年代以降、戦争体験が日本人の間で共有されにくくなりつつあったことも指摘したい。ひめゆり学徒隊が「忘れられてしまった」り、戦争に加担した側と見なされるようになった以上に、観客自身の物語ではなくなったことが、リメイク版の興行不振の背景にあるのではないだろうか。

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筆者

山本章子

山本章子(やまもと・あきこ) 琉球大学准教授

1979年北海道生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。2020年4月から現職。著書に『米国と日米安保条約改定ー沖縄・基地・同盟』(吉田書店、2017年)、『米国アウトサイダー大統領ー世界を揺さぶる「異端」の政治家たち』(朝日選書、2017年)、『日米地位協定ー在日米軍と「同盟」の70年』(中公新書、2019年)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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