藤田直央(ふじた・なおたか) 朝日新聞編集委員(日本政治、外交、安全保障)
1972年生まれ。京都大学法学部卒。朝日新聞で主に政治部に所属。米ハーバード大学客員研究員、那覇総局員、外交・防衛担当キャップなどを経て2019年から現職。著書に北朝鮮問題での『エスカレーション』(岩波書店)、日独で取材した『ナショナリズムを陶冶する』(朝日新聞出版)
※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです
日米中間に続く不気味な静けさ 次の動きを見極める必要
菅義偉首相とバイデン大統領が初めて会談し、中国が自国領と主張する台湾に触れた共同声明を発してから1カ月。日米両首脳による文書では異例の言及に有事への危機感を募らせる議論が目立つが、日本の外交・安全保障を担当する筆者には違和感がある。菅・バイデン声明での台湾への言及がどのような意味を持つのか、その後の動きや菅政権関係者への取材から探る。
まず、果たして菅・バイデン声明で台湾に言及したことが「原因」(トリガー)となって、日米間で実際に台湾有事、つまり中国による台湾の武力統一に備えようとする新たな動きが生まれているのだろうか。筆者の知る限り、答えはノーだ。もし自衛隊、米軍の最高指揮官でもある両首脳の台湾への言及が命令としての意味を持ち、台湾有事に備える協力が加速されていれば、事態は相当緊迫しているはずだ。だが現状はそうではない。
結論から言えば、菅・バイデン声明での台湾への言及は、中国に対して高まるばかりの日米の懸念が現れた「結果」ではあっても、日米が台湾有事に備えて軍事面での協力をさらに強化する「原因」には今のところなっていない。声明に対する中国の反発は控えめで、批判の応酬にもなっていない。
なぜか。もちろん日米は中国の動きを注視し、台湾有事に備え協議してきている。だがそれは今回の首脳会談のずっと前からであり、今に始まった話ではないからだ。
もし中国が台湾に侵攻すれば、台湾と関係の深い米国の軍事介入、日本の後方支援、中国による日本攻撃と発展して日米と中国の交戦になりうる。その懸念は今世紀に入り、中国が軍事力と勢力圏を急速に拡張したことで高まってきた。そして、日米での際どい協議は主に閣僚間以下でなされ、それが「原因」となって具体的な対応につながってきた。
外交・防衛担当閣僚による日米安全保障協議会(2プラス2)が共同発表で台湾に初めて触れたのは、小泉内閣当時の2005年。「台湾海峡を巡る問題の対話を通じた平和的解決を促す」と表明した。その後も中国が海洋進出やミサイル増強を進める中、安倍内閣は2014年に憲法解釈を変更し集団的自衛権の限定行使を容認。これをふまえ2015年に2プラス2で日米防衛協力のための指針(ガイドライン)が改定され、日本では自衛隊の役割を広げ米軍との協力を進めるために安全保障法制を定めた。
ガイドラインは「敵」を明示していないが、主に中国が念頭だ。例えば、「自衛隊及び米軍の相互運用性を拡大」するために日本国内の基地の「共同使用を強化」としているのは、中国のミサイル攻撃に備えるためだ。ガイドラインを担当した関係者は「狭い日本の国土に配備された自衛隊と米軍の航空機が互いの基地をしっかり活用できるようになれば、突然のミサイル攻撃から逃れて反撃できる可能性が高まる。そんな日米連携を中国が手強いと思えば攻撃をためらう」と説明する。
日米が実際に共同訓練で日本国内の基地の共同使用を増やすなどして連携を強める一方で、中国は台湾に対する活動を活発化させ、昨年からは軍用機で防空識別圏進入を繰り返してきた。日米は今年3月の2プラス2での共同発表で「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調」と久々に台湾に言及。前日には自衛隊と米軍の戦闘機が共同訓練で那覇北西の東シナ海海上を飛び牽制した。それでも中国軍の台湾防空識別圏への進入が続く中で、4月の首脳会談を迎えたのだった。
注目された菅・バイデン声明には、「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調するとともに、両岸問題の平和的解決を促す」という一文が入った。確かにこれは日米中の関係にとって歴史的に重い。日米両首脳による文書での台湾への言及は、1969年の佐藤・ニクソン声明以来、72年の日中国交正常化以来では初めてだ。
だがその表現は練られていた。上記の2005年と今年の2プラス2共同発表の文章をつなげ、日米が閣僚間で述べてきたラインを保ちつつ、直前の2プラス2での言及に「平和的解決」を加えて和らげた。中国もそれを受け止めたとみられ、外務省の批判は今年3月の2プラス2共同発表に対しては長く激しかったが、菅・バイデン声明に対しては短く控えめなものとなった。
そして菅・バイデン声明は、日米の中国に対する懸念において台湾問題が重みを増している「結果」を表したが、台湾有事に備える軍事面での協力を加速する「原因」にまではならなかった。「原因」となり得たのは前月の2プラス2での台湾言及だが、これにも日米とも政権が代わって引き続き台湾有事に備え協議しようと確認した意味があり、それを表明した理由としては中国への牽制に加え、トランプ政権より弱腰と思われたくないバイデン新政権の意向があった。
菅・バイデン声明は、そうした2プラス2までのトーンを抑えたとすら言える。留意すべきはむしろ、日米両首脳による文書で台湾言及という異例の踏み込みをしたことをめぐるこうした経験だろう。両首脳による台湾への言及をこれまでの閣僚協議で表明してきた範囲にとどめ、しかも直近の閣僚協議よりは抑え、それに対して中国も批判を抑えた。こうした中国との探り合いを、次項で述べる今後の外交努力にどう生かすかだ。
ただし、中国の拡張主義が収まったわけではない。台湾国防部によれば、中国軍機による防空識別圏進入は菅・バイデン声明以降も続く。日米はこれまで同様、台湾周辺での中国軍の動きを注視し、今後もしエスカレートすれば閣僚間以下で台湾に言及して牽制しつつ、それを「原因」としてガイドラインや安保法制に沿って台湾有事に備える協力を加速するだろう。