メディアの報道によると、政府がワクチンの開発や生産体制の強化のための「新戦略」を練っているという。新型コロナウイルス感染症の拡大に際し、国産ワクチン開発の遅れが露呈したことを受けたもので、新たなワクチンの開発を促進する研究開発拠点の形成や、治験環境の整備、従来の薬事承認制度の改革、さらに政府による資金支援の拡充などが盛り込まれる見通しだ。
菅義偉首相もオンラインで参加する日本政府・国際組織共催の首脳級会合「ワクチンサミット」が開かれる6月2日の前には、日本の長期戦略として閣議で決定したいという。

「自衛隊大規模接種センター」の視察を終え、記者の質問に答える菅義偉首相=2021年5月24日、東京・大手町、代表撮影
ワクチンの三重の「遅れ」に傷ついた自尊心
現在、我が国はコロナワクチンをめぐり、①国産ワクチン開発の遅れに対する内からの批判、②先進国を優先するワクチン調達に対する外からの批判、という二つの批判にさらされている。
「鉄は熱いうちに打て」という寸言にならうならば、ワクチンが国内外の最大の関心事になっている今こそ、将来を見据えた長期的なワクチン対策の道筋をつくる新戦略は、理にかなった対応と言えよう。
実は私もその一人だったのだが、コロナが拡大した当初、“ワクチン”が必要だと聞いて、それなら日本の出番だと感じた人は、意外に多いではないか。それに関係するはずの医学・生理学の分野では、ノーベル賞の受賞者が5人(利根川進、山中伸弥、大村智、大隅良典、本庶佑の各氏)も出たのだからという、漠然とした理由からだろう。
だが実際には、日本はワクチンについて、「開発の遅れ」「調達の遅れ」「接種の遅れ」という三重の遅れに直面した。これに対して、多くの人が屈辱的だと感じたし、自尊心も深く傷ついてしまった。