「世界から必要とされる国」を目指して
2021年05月27日
メディアの報道によると、政府がワクチンの開発や生産体制の強化のための「新戦略」を練っているという。新型コロナウイルス感染症の拡大に際し、国産ワクチン開発の遅れが露呈したことを受けたもので、新たなワクチンの開発を促進する研究開発拠点の形成や、治験環境の整備、従来の薬事承認制度の改革、さらに政府による資金支援の拡充などが盛り込まれる見通しだ。
菅義偉首相もオンラインで参加する日本政府・国際組織共催の首脳級会合「ワクチンサミット」が開かれる6月2日の前には、日本の長期戦略として閣議で決定したいという。
現在、我が国はコロナワクチンをめぐり、①国産ワクチン開発の遅れに対する内からの批判、②先進国を優先するワクチン調達に対する外からの批判、という二つの批判にさらされている。
「鉄は熱いうちに打て」という寸言にならうならば、ワクチンが国内外の最大の関心事になっている今こそ、将来を見据えた長期的なワクチン対策の道筋をつくる新戦略は、理にかなった対応と言えよう。
実は私もその一人だったのだが、コロナが拡大した当初、“ワクチン”が必要だと聞いて、それなら日本の出番だと感じた人は、意外に多いではないか。それに関係するはずの医学・生理学の分野では、ノーベル賞の受賞者が5人(利根川進、山中伸弥、大村智、大隅良典、本庶佑の各氏)も出たのだからという、漠然とした理由からだろう。
だが実際には、日本はワクチンについて、「開発の遅れ」「調達の遅れ」「接種の遅れ」という三重の遅れに直面した。これに対して、多くの人が屈辱的だと感じたし、自尊心も深く傷ついてしまった。
ワクチンで日本が遅れをとった一義的な責任は、もちろんコロナ禍に対応した安倍晋三政権、そして菅義偉政権にあるのだが、万が一の事態に備えを怠ってきた半世紀に及ぶ関係部門(政治、行政、業界、学界)の責任は、それ以上に重い。
北里大学特任教授で日本ワクチン学会理事の中山哲夫氏は新聞記事で次のように語っている(5月12日朝日新聞)。
「日本が後れを取ったのは、政府が長年ワクチンを軽視してきたツケです」
「かつては政府がワクチン開発を主導していましたが、集団予防接種後の死亡や障害が社会問題化して、裁判で損害賠償を命じられた政府がワクチンに背を向けたからです」
他ならぬ、寝ても覚めてもワクチンに取り組んできた人の発言だけに、格別の重みをもって響く。
中山氏によると、米国が今回、ワクチンの開発・生産で成果を上げたのは、「1980年代から新技術の基礎研究を重ねて実用化水準に達していたから」であり、そのために「研究資金や人材確保」に努めてきたのだと言う。
記事中で中山氏はあらためて「基礎研究の強化」を強調しているが、この主張は過去に何度も聞いたことがある。先述の5人のノーベル賞受賞者も、受賞時の記者会見で基礎研究の大切さを強調し、それが十分ではない日本の現状に警告を発していた。
1989年末に米ソの冷戦が終結、世界中でヒト、モノ、カネが国境を越えて自由に行き来するようになった。こうした状況にわれわれは十分な対応をとってきたのだろうか。農産物や食品はもちろん、野生の動物や植物に至るまでが、いつの間にか国境を越えて移動する。世界の空を飛行機が飛び交い、多くのヒトがさまざまな国に出入りする。100年前、世界で大流行したスペイン風邪の時代とは桁違いの勢いで、感染症が瞬時に地球上に広がっていく素地がつくられてきた。
そうしたなか、米国がしたたかに基礎研究に取り組んできたのと対照的に、日本政府は「ワクチンに背を向けた」まま、今回のコロナ禍を迎えた。要するに、経済社会のグローバル化が強まり、感染症のリスクが高まるなかで、日本は逆に感染症への対応能力を劣化させてしまっていたのだ。
なぜ、日本はここまで劣化してしまったのか。思いつくままに医学以外の要因を列挙してみたい。
第一に、厚生行政の地盤沈下である。1997年の省庁再編で厚生省と労働省が併合されて厚労省になったことは、結果として両省の地盤沈下を招来した。これは他の省庁統合でも、同様に見られる傾向である。
厚生省当時の最重要案件が厚労省でも最重要案件になるとは限らない。長年蓄積されてきた貴重な知見が、なまじ大所帯になったために、隅に置かれて顧みられない可能性もある。今回のコロナ対策でも、そうした事態はなかっただろうか。
おそらく、国土交通省、総務省、内閣府といった幾つかの統合官庁には、ほとんど同じ欠陥が生じているだろう。これは、冗費節減を至上課題とした97年の行政改革が、誰も求めてはいない粗雑な省庁再編に転化された弊害と言える。
第二に、近年の政権が中長期の構想や目標を示さないため、場当たり政策が横行していることだ。
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