メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

news letter
RSS

「ぼったくり男爵」のIOC :eスポーツとオリンピック/下

定義があいまいなまま「スポーツ」というイメージを悪用か

塩原俊彦 高知大学准教授

「ぼったくり男爵」のIOC/上

 「eスポーツとオリンピック:現在進行中の議論の視点(“Os e-sports e os Jogos Olímpicos: Perspectivas de um debate em andamento”)」というポルトガル語で書かれた論文が、Journal of Human Sports & Exerciseという学術誌(2020年)に掲載された。ここでは、この論考を参考にしながら、eスポーツを競技に取り込むことでカネ儲けにつなげようとしている国際オリンピック委員会(IOC)の思惑について論じてみよう。

2017年からスタートしたIOCのeスポーツ取り込み

拡大IOC本部=2019年6月21日、スイス・ローザンヌ

 IOCは2017年10月にスイス・ローザンヌで開催されたオリンピック・サミットと呼ばれる会議で、IOCが掲げるオリンピックの理念を理解し、その活動を世界に広めていこうとする運動である「オリンピック・ムーブメント」の将来に関する会議の議題に「eスポーツ」を取り上げた。同サミットのコミュニケによれば、つぎの4点について合意されたという。

 ①「eスポーツ」は、とくに各国の若者層を中心に急速な発展と、オリンピック・ムーブメントとのかかわりのためのプラットフォームを提供できる
 ②競争力のある「eスポーツ」はスポーツ活動とみなすことができ、そのプレーヤーは伝統的スポーツのプレーヤーに匹敵するような強度の準備やトレーニングを行う
 ③IOCによってスポーツと認定されるためには、「eスポーツ」の内容がオリンピックの価値観を侵害してはならない
 ④IOCによる認定のためのさらなる要件として、オリンピック・ムーブメントのルールや規制(アンチドーピング、賭け、情報操作など)の遵守を保証する組織が存在しなければならない

 ――というのがそれである。

 だが、②や③は、IOCの我田引水によって導かれた一方的な見解にすぎず、合理的な説明になっているとは思えない。

「eスポーツはスポーツではない」という主張

 そこで、まず、eスポーツの定義について論じるところからはじめたい。最初に、至極真っ当なジム・パリーの「eスポーツはスポーツではない」という論文を紹介したい。彼の論理は、まず、「制度化された、ルールで管理された人間の身体的スキルのコンテスト」を「オリンピック・スポーツ」と定義したうえで、eスポーツと呼ぶことが必ずしも不可能ではないコンピューターゲームを含めてeスポーツが本当にスポーツ(オリンピック・スポーツ)であるかどうかを確かめるには六つの論理的に必要な条件があるという構成になっている。

 第一条件は、「スポーツは人間が行うものである」というものだ。つぎの指摘は納得のできるものだろう。

 「馬術競技はオリンピック・スポーツの一部だが、グレイハウンドレースやウサギ狩りはそうではない。その理由の一つは、馬術競技では馬は常に人間の指示の下にあるのに対して、後者の競技では動物は『鎖から解き放たれている』からだ。オリンピック・スポーツにはモータースポーツは含まれていない。セーリングは含まれるが、モーターボートは含まれない。その理由としては、『モーター』という要素が結果に大きく影響すると考えられるのに対し、セーリングは(風の補助を強化する技術が含まれているとはいえ)人間の手に委ねられている部分が大きいからである。」

 第二条件は、「フィジカル」という概念の理解が必要だというものだ。「スポーツは射撃のように、実際の物理的な動きが結果を生み出すという意味で、物理的なものである」と主張している。射撃の場合、単に引き金を引くという動作があるのではなく、ライフルの構え方、呼吸の仕方など、射撃手に求められる全身のコントロールが結果に直結することが考慮されているからこそ、スポーツに値する。

 第三条件は、「人間の身体的スキルの開発と行使を必要とする」というものである。パリーは、「毎日の犬の散歩や週3回のジョギングが自分の「スポーツ」だと言いたい人もいるかもしれないが、ほとんどの人は、これはオリンピックの「スポーツ」というよりも「エクササイズ」に近いと説得できると思う」とのべている。

 第四条件は、「すべてのスポーツはコンテストである」というものだ。この条件から、登山などの活動はコンテストではなく、チャレンジであるとして、オリンピック・スポーツからは除かれている。

 これに関連して、IOCは1912年から1948年まで、オリンピック大会で美術競技を開催し、金、銀、銅のメダルを授与してきたという事実は重要だろう。アートがスポーツであると考えられていた結果ではなく、スポーツ競技とは別に芸術競技を設けていたのだ(その意味で、スポーツ競技としてではなく、別の範疇の競技としてeスポーツをオリンピックに取り込むということは可能かもしれない)。「建築、文学、音楽、絵画、彫刻の5分野で構成されていた」という。

 第五条件は、「ルールによる統治」の存在である。「ジョギングは気が向いたときにやればいいのであって、ルールはない」から、これではオリンピック・スポーツの条件を満たしているとは言えない。

 第六条件は、「制度化されている」ことだ。これが意味するのは、国内および国際的な連盟が存在し、そうした機関が国内および国際的な構成員に守るべきルールなどを一貫して遵守させたり、教育したりできる体制が整備されているということだ。

 パリーはこれらの条件に照らして、つぎのように記している。

 「私は、eスポーツがスポーツではないと主張してきた。それは、eスポーツが不十分な『人間的』なものであり、直接的な身体性を欠き、決定的な全身のコントロールと全身のスキルを使うことができず、全体としての人間の発達に貢献できないからであり、また、eスポーツの創造・生産・所有・普及のパターンがスポーツ・ガバナンスに特徴的な安定的で持続的な制度の出現に深刻な制約を与えるからである。「若者の関心事」という言葉に飛びつきたくなる気持ちはわかるが、オリンピックは何よりもまずスポーツを目的としている。競争力のあるコンピューターゲームは、どんなに『似ている』と言われようと、スポーツとしての資格はない。コンピューターゲームはただのゲームなのだ。」

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。


筆者

塩原俊彦

塩原俊彦(しおばら・としひこ) 高知大学准教授

1956年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科修士課程修了。学術博士(北海道大学)。元朝日新聞モスクワ特派員。著書に、『ロシアの軍需産業』(岩波書店)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(同)、『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)、『ウクライナ・ゲート』(社会評論社)、『ウクライナ2.0』(同)、『官僚の世界史』(同)、『探求・インターネット社会』(丸善)、『ビジネス・エシックス』(講談社)、『民意と政治の断絶はなぜ起きた』(ポプラ社)、『なぜ官僚は腐敗するのか』(潮出版社)、The Anti-Corruption Polices(Maruzen Planet)など多数。

塩原俊彦の記事

もっと見る