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政府とIOCは、国民が納得できる五輪開催案示せ~できないなら中止しかない

しかし中止の壁は高い。それを乗り越える「国民運動」は起こるのか

登 誠一郎 元内閣外政審議室長

忘れ得ぬ前回東京五輪。今回は夢と希望を与えられるか

拡大アジア最初のオリンピックが1964年10月10日開幕し、東京・国立競技場で開会式が行われた。秋空の下、天皇陛下が開会を宣言し、94カ国の選手団が7万5千人の観衆の拍手を受けて入場行進した。15日間、5500人余の選手が技を競った。写真は、最後に入場行進する日本選手団
 1964年の東京オリンピックは、終戦からまだ20年も経過しておらず、復興の途上にあった日本国民に多大な元気と希望を与えてくれた。その開会式が行われた10月10日、私は学生ボランティアの一人として、国立競技場において外国人観光客の案内係を務めていた。この大会は、日本の青少年に計り知れないほど大きなインパクトを与えた。その後、筆者自身を含む多くの青年は、この影響を受けて、世界に視野を広げ、戦後の日本の発展に、ともに力を合わせてきた。

 あれから57年が経過して、我が国をめぐる国際環境も、我が国自身の経済・社会情勢も大きく変遷した今日、オリンピックとパラリンピックの開催は、我が国に対して新たな発展の機会とそれを実現するための刺激を与えるものとして、大多数の国民は大きな期待をもって待ち望んできた。

拡大東京五輪開会式では、東京上空に航空自衛隊のジェット機(ブルーインパルス)が五色の大輪を描いた=1964年10月10日
拡大ガーナ選手の民族衣装は人気を呼んだ。ルーマニア(両端)やアルゼンチンの選手と記念撮影する様子=1964年10月10日

 それが一転したのが、過去1年半にも及ぶ新型コロナウィルスの世界的な蔓延である。今日、世界にとっても、日本にとっても最大の課題はコロナの克服である。その中で大会を今夏に開催することは、果たして、世界の、そして日本の青少年に対して、将来に向かっての夢と希望と勇気を与えることになるのであろうか。

中止・延期求める世論、IOC幹部の「開催発言」に反発

 各種世論調査によると、日本人の7割以上が東京五輪の中止または延期を求めている。開会式まであと2カ月を切った時点で、このような不人気なオリンピックは、その開催が危ぶまれることも至極当然と思われる。

 その中で5月21日の記者会見において、国際オリンピック委員会(IOC)のジョン・コーツ副会長は、「緊急事態宣言下でも、安全、安心な大会が開催できるとのアドバイスをWHOなどから頂いている」との発言を行った。またその翌日にはトーマス・バッハ会長は、「オリンピックの夢を実現するためには、誰もが何らかの犠牲を払わなくては」と述べ、この両発言は、日本国内で、「IOCは何が何でも五輪を開催したく、そのためには日本人の安全と命を犠牲にしても仕方がない、と考えているのか」との強い反発を招いた。

拡大国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長=IOC提供
 国内メディアは、徐々に中止の論調を強めており、東京オリンピック・パラリンピックの公式スポンサーでもある朝日新聞が、5月26日に全国紙としては初めて、「中止の決断を首相に求める」と題する6段抜きの社説を掲げたことは注目すべきである。

緊急事態宣言再延長、五輪のためのタイミングか

 日本政府及び東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の関係者は、発言には慎重を期しているが、本心は、何とかして開催したいということには間違いない。政府は、5月31日が期限だった東京などでの緊急事態宣言を、オリンピック開催の約1ヶ月前になる6月20日まで延長したが、その間に対策をさらに強化して、感染者数や医療ひっ迫率などの諸指標をステージ2近くまで下げることにより、予定通り開催することを想定している。

 それが可能か否かの判断は、アスリートの体調管理、オリンピック支援の医療体制の準備、チケット再販の有無などを考慮すると、遅くとも6月下旬には決定する必要があると思われるので、6月20日というタイミングは、正にオリンピックのためと言われても致し方ない。

拡大緊急事態宣言の延長を決定し、会見する菅義偉首相=2021年5月28日、首相官邸
 内外の五輪関係者は、なぜコロナ禍にもかかわらずこのように必死に五輪を開催しようとしているのであろうか。また国民の多数が納得できる形での開催方法はどのようなものであろうか。この答えを、オリンピック憲章を読み解くことにより探ってみたい。

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筆者

登 誠一郎

登 誠一郎(のぼる・せいいちろう) 元内閣外政審議室長

兵庫県出身。東京大学法学部卒業後、外務省入省(1965)、駐米公使(1990)、ロサンジェルス総領事(1994)、外務省中近東アフリカ局長(1996)、内閣外政審議室長(1998)、ジュネーブ軍縮大使(2000)、OECD大使(2002)を歴任後、2005年に退官。以後、インバウンド分野にて活動。日本政府観光局理事を経て、現在、日本コングレス・コンベンション・ビューロー副会長、安保政策研究会理事。外交問題および観光分野に関して、朝日新聞「私の視点」、毎日新聞「発言」その他複数のメディアに掲載された論評多数。

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