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香港のスーパースター、デニス・ホーはなぜ民主活動家に変貌したのか

ドキュメンタリー映画が公開/中国の圧力に揺るがぬ信念、自由求める民の心を体現

市川速水 朝日新聞編集委員

「決して恐れず、引き下がりません」拡大台湾での香港支援集会に参加し、メディアの取材中に赤色のペンキを頭にかけられた直後のデニス・ホーさん。落ち着いた様子で「決して恐れず、引き下がりません」と語った=映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」から ©Aquarian Works,LLC

物静かな大スターが巨大な圧力に抗い歩む姿

――デニスさんをドキュメンタリー映画の主人公にするまでの経緯を教えてください。

 デニスさんと初めて会ったのは2017年夏。共通の知人の紹介でした。1週間ぐらい一緒に過ごし、彼女の人生や音楽について話を聞きました。実はそれまで私は彼女のことを知りませんでした。初対面では彼女は物静か、控えめな印象でした。アジアポップ界の大スター、同性愛者の権利を求める活動家、さらに香港の市民社会を支持する実像とはかけ離れたイメージでした。

 中国の巨大な圧力を受け、それに抗いながらどのようにしてアーティストとしてのキャリアを再構築していくのか、彼女は自分の存在をかけて真剣に取り組んでいました。私はすぐにデニスの映画を作りたいと思いました。

「一国二制度」がこんなに早くないがしろにされるとは

拡大映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」のポスター ©Aquarian Works,LLC
――その時、すでに香港の民主社会は中国当局によって大きな変動を余儀なくされていました。

 2018年からデニスに何度も会って撮影を始めました。2019年から編集を始め、その夏には仕上げに入る予定でしたが、香港で抗議運動、ムーブメントが始まり、デニスも参加していました。その動きもすべてカバーしたいと思い撮影を続けました。結果的に、2019年10月の完成予定が2020年3月までかかりました。

 その後、ご存じのように(中国当局批判を全面的に禁止する)香港国家安全維持法(国安法)が同年6月に施行され、さらに状況が悪化しました。私たちは香港の状況を甘くみていました。まさか国安法のようなものができるとは思ってもみなかった。1997年に香港が中国に返還される際、イギリスと約束した『一国二制度』が、これほどいいかげんな扱いをされるとは……。しかも、こんなに早く中国政府がないがしろにするとは思い至りませんでした。

 香港は本当に愛すべき場所であり、その場所が日々変わっていく、かつての香港の姿が消えていく状況を悲しく思います。


筆者

市川速水

市川速水(いちかわ・はやみ) 朝日新聞編集委員

1960年生まれ。一橋大学法学部卒。東京社会部、香港返還(1997年)時の香港特派員。ソウル支局長時代は北朝鮮の核疑惑をめぐる6者協議を取材。中国総局長(北京)時代には習近平国家主席(当時副主席)と会見。2016年9月から現職。著書に「皇室報道」、対談集「朝日vs.産経 ソウル発」(いずれも朝日新聞社)など。

※プロフィールは原則として、論座に最後に執筆した当時のものです

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