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再論「ワクチンパスポート」

デジタル化に遅れた日本が世界についていけるか

塩原俊彦 高知大学准教授

 このサイトにおいて、「「出口戦略」としての「免疫パスポート」」「電子化されたワクチン接種証明書(ワクチンパスポート)の必要性」「正念場のワクチンパスポートと「ワクチン外交」」を公表したことがある。最初にこの問題を取り上げたのは2020年4月16日であったから、本来であれば、もう1年以上も前からこの問題について用意周到な準備があってしかるべきだったと思うが、「想像力の委縮」が目立つ日本では、その対応が後手後手に回っている(「想像力の委縮」については拙稿「ワクチン接種をめぐる「想像力の萎縮」という病」を参照)。

 ここでは、日本国内でのワクチン接種がようやく広がりをみせつつある現状を踏まえて、もう一度、この問題について世界の潮流という視点から論じてみることにしたい。政治家、官僚、学者、マスコミ関係者などの「想像力の委縮」から、広範な議論が行われないまま、場当たり的で無秩序な対応が目につく現状に警鐘を鳴らすためである。

標準化されたEUの「パスポート」

 2021年6月1日、欧州連合(EU)は「EUデジタルCOVID認証(EU Digital COVID Certificate):EUゲートウェイ、期限より1カ月早く7カ国で稼動開始」いうリリースを公表した。「パスポート」という名称は使われていないが、EU内での検疫をなくしたり、簡易化したりする目的で、①コロナウイルスの予防接種を受けたこと、②検査で陰性であったこと、または③ウイルスから回復したことを証明するために、画面に表示したり印刷したりできる特別なコード、「EUデジタルCOVID認証」を導入したというのだ。

 具体的には、6月1日から、ブルガリア、チェコ、デンマーク、ドイツ、ギリシャ、クロアチア、ポーランドの7つの加盟国がゲートウェイへの接続を決定し、最初のEU証明書の発行を開始した。7月1日からはEU27カ国すべてで証明書の発行が開始される予定だ。

 ここでいうゲートウェイとは、欧州委員会が構築を進めてきた、EU全域ですべての証明書の署名を検証できるシステムで、5月10日以降、すでに22カ国でゲートウェイのテストが行われ、成功を収めているとされる。その進捗度合いは下図に示されている。

 電子署名の検証には個人情報は必要ないため、証明書保有者の個人情報はゲートウェイを通過しない。また、欧州委員会は、加盟国が証明書の発行・保存・検証を行うためのソフトウェアやアプリを国内で開発し、ゲートウェイに搭載するために必要なテストをサポートしてきた。

 国家機関が証明書の発行を担当しているが、病院、テストセンター、保健所が発行することもある。証明書には、デジタル版と紙媒体があるので、デジタル・ディヴァイド(情報格差)に対する心配は解消されているという。どちらにも、必要な情報を含むQRコードと、証明書が本物であることを確認するためのデジタル署名がついている。

 この「EUデジタルCOVID認証」はあくまでEU域内の自由な移動を促進するための「共通のツール」と位置づけられている。公衆衛生上の規制で必要とされる検査結果を証明するものとして、検疫を省略しやすくするねらいがある。

 どのワクチンに適用するかについては、「自由な移動の制限を免除する場合、加盟国はEUの製造・販売の承認を受けたワクチンの接種証明書を受け入れなければならない」とされている。これだけを読むと、EU加盟国のハンガリーなどにおいてEUで承認されていないロシア製のワクチンである「スプートニクV」を接種した者はこのシステムからはじかれてしまうことになる。

 他方で、「加盟国は、別のワクチンを接種したEU域内の旅行者にもこの制度を適用することができる」とされており、この「別のワクチン」として中国製などのワクチンが適用されるかどうかが注目されている。

 注意すべき点として、旅行のための「パスポート」としては、「EUデジタルCOVID認証」以外に、まったく別の「パスポート」導入の動きが複数存在することである。たとえば、国際航空運送協会(IATA)はQRコード付きで、出入国審査の際に簡単にスキャンできるシステムを開発している。

差別やデジタル・ディヴァイドの問題も

 2021年5月17日、記者とジェン・サキホワイトハウス報道官との間でつぎのようなやりとりがあったことが知られている。

 「質問 別の問題についてですが、マスクのガイダンスについてもう一度。これをきっかけにして、ビジネスで使える、義務ではない、標準的なワクチンパスポートが必要かどうかという新しい議論が始まりましたか。それとも、この決定は州に委ねられているのでしょうか。大統領は前任者が手をこまねいていたことをかなり批判していたと思いますが。

 サキ報道官 我々は、連邦政府がその役割を果たすことはなく、民間セクターがその役割を果たすだろうという見解を変えていません。それが民間セクターを促し、行動を我々が適切な位置にあると考える場所へと前に進めることになるでしょう。」

 EUが加盟国間の自由な移動を促進する「共通のツール」として標準化された「パスポート」を導入しつつあるのに対して、州の自治が尊重されている米国では、各州や民間企業が独自のシステムを開発しているというのが現状だ。

 たとえばニューヨーク州では、全米初の唯一の州政府発行の「ワクチンパスポート」、すなわち「エクセルシオール・パス」(Exelsior Pass)が2021年3月に導入された、とニューヨーク・タイムズ電子版は伝えている。このパスを説明するサイトにアクセスすると、「パスは、COVID-19のワクチン接種または検査結果が陰性であることのデジタル証明を、無料で迅速かつ安全に提示する方法を提供することで、ニューヨークの安全な再開をサポートする」と説明している。この場合の「ワクチンパスポート」はスポーツイベントや美術館などへの入場許可に使われるのが前提となっている。もちろん、パスを印刷して持参することもできる。

Tada Images / Shutterstock.com

 実際の利用方法としては、会場やレストランなどの入り口で、パスをスキャンして認証することで、COVID-19の予防接種や検査を受けているかどうかを確認することができ、同時に、名前と生年月日が記載された写真付きのIDを提示するよう求めることで本人確認もできる。記事では、ニューヨーク州の実績として、5月末で、「約110万枚のエクセルシオール・パスが携帯電話やパソコンにダウンロードされていた」という(完全に予防接種済みなのは約910万人)。

 ただし、さまざまな問題が起きている。第一に、ソーシャルメディアに投稿した情報やGoogle検索を利用して、他人の「エクセルシオール・パス」を簡単にダウンロードできる。このパスには、プライバシー保護のため生体情報は含まれていないので、前述したようにIDとの照合による本人確認が必要になる。

 第二に、「デジタル・ディヴァイド」という情報格差を広げているという問題もある。高齢のニューヨーカーやインターネットに接続できない人たちの苦労を想像してみてほしい。パスが手に入らない人は、苦情用紙に記入したり、州のホットラインに電話したりすることは可能だが、「ほとんどの場合、ワクチンを接種した団体がデータを修正しなければならず、それは必ずしも容易ではない」という。さらに、このパスは連邦政府の予防接種データにアクセスできないため、退役軍人病院でワクチンを接種した人はこのパスの対象になりえない。

 第三に、ワクチン接種者とそうでない者との差別の拡大という大問題もある。記事では、ニューヨーク州にある小さなチョコレート店で、「予防接種を受けた人は屋内に座るようにという看板の写真が拡散された後、ソーシャルメディアに全米からの嫌悪感が殺到した」という。すでに、日本でも、接種者を優遇するサービスを導入することで、ワクチン接種を促進すると同時に、来店増加につなげようとする動きがあるが、これは明らかに「差別」である。

 ゆえに、フロリダ州、ジョージア州、アラバマ州などのいくつかの州では、すでにこうした「ワクチンパスポート」の使用が禁止されている。

混乱必至の日本

 海外旅行向けの「ワクチンパスポート」については、日本に主導権はない。ゆえに、国際的な動きと協調してゆくしか方法はないのが実情だ。欧米諸国に比べて、何十年も日本が遅れてきた結果だ。

 6月4日まで開かれていた主要7カ国(G7)保健相会合において、世界保健機関(WHO)を中心にとして、ワクチン接種やコロナ検査の結果を多国間で相互承認できる仕組みづくりを進めることが合意されたが、デジタル化が遅れている日本政府がこうした動きにそもそもついていけるのか懸念される。

英南部オックスフォードで開かれた主要7カ国(G7)の保健相会合。日本からは山本厚生労働副大臣がオンラインで参加した=2021年6月4日

 他方で、「ワクチンパスポート」を会場などの入り口で提示させて、接種者とそうでない者を「差別」するというやり方については、日本ではどうなるのだろうか。米国で起きている混乱からわかるように、このまま放置すれば、大きな社会問題になりかねない。

 ただ、ワクチン接種を受けたら「シール」を貼るといった、まったく時代錯誤の対応しかできない日本では、ニューヨーク州の「エクセルシオール・パス」のようなサービスが簡単にできるとは思えない。デジタル化の遅れがかえって幸いするかもしれない。

 だが、オリンピック選手とその関係者というだけで、ワクチンの優先接種を認めたり、大企業に勤めているというだけで、職場接種が推奨されたりする現状では、「差別」ありきが当たり前のようになってしまっている。ワクチン接種を急ぐのであれば、飲食店で働く人や廃棄物の回収業者などへの優先接種を工夫したり、職域周辺住民の接種を義務づけたりするといった心遣いのようなものが求められるのではないか。

 接種済みの「シール」をみせれば、「差別待遇」を受けられるような会場やレストランなどが急増する恐れは十分にあるだろう。菅義偉政権がやっていることは、ワクチン接種にまつわる「差別社会づくり」であると、筆者は考えている。

 ワクチンの残余分への対応さえ、ルールを示そうとしない日本政府には、こうした「差別」を問題視するという姿勢がそもそもあるのかどうかさえわからない。もっと想像力を働かせて、いまからでもいいからしっかり議論しないと結局、なし崩し的な「差別」がまかり通ってしまうことにならないか。大いに心配される。