単なる「言葉の問題」ではない政府・自民党の体質を端的に示す空恐ろしい事態
2021年06月13日
東京オリンピック(五輪)・パラリンピック向けに国が開発したアプリ(オリパラアプリ)の事業費削減をめぐり、平井卓也デジタル改革担当大臣が今年4月の内閣官房IT総合戦略室の会議で同室幹部らに、請負先の企業を「脅しておいた方がよい」「徹底的に干す」などと、指示していたことが報じられました(参照)。
これに対して、平井大臣本人は「10年来一緒に仕事をして来て自分の真意が分かる幹部職員へ対面で檄を飛ばしたものであり、事業者への脅しでは決してありません」と弁明し(参照)、自民党の金子恭之議員が「我々国会議員は 血税の無駄遣いを許せないのは当然だと思います。平井大臣とは 初当選同期20年来の友人ですが、これまで平井大臣のキレた姿を見た事はありません。よほど腹に据えかねた発言だったのだと思います。これからも言葉遣いには気をつけて、怯むことなく頑張ってもらいたい」(参照)、日本維新の会の足立康史議員が「平井大臣仰る通り『契約見直しに当たっての自分の考えを、10年来一緒に仕事をして来て自分の真意が分かる幹部職員へ対面で檄を飛ばしたもの』であったなら、問題視すべきではありません。こんなリークで政治家が潰されるなら、内輪の会合でさえ何も言えなくなるし、政治リーダーが何人いても足りません」(参照)と擁護するなど、「相応の事情の下に」「内輪の席でなされた」発言についての「単なる言葉の問題」に過ぎないから問題ないという主張がなされています。
しかし、私は「徹底的に干す」「脅しておいた方がよい」という今回の平井大臣の発言は、仮にその言葉が「相応の事情の下に」、「内輪の席でなされた」ものであっても、「単なる言葉の問題」ですまされない、大きな問題を孕(はら)んでいると思いますので、この点を論じたいと思います。
最初に問題の背景を整理すると、本年の1月、政府はオリンピック・パラリンピックで来日する外国人の行動管理のために、顔認証機能を伴う「オリパラアプリ」の開発を競争入札で発注し、NECを含む共同事業体1社が応札、78億円で開発契約を結びました(参照)。
この78億円という金額は、接触確認アプリ「COCOA」の開発費約4億円の何と20倍にも相当し、当初からその妥当性が疑問視され問題となっていました(参照)。 ところが3月9日に政府が海外の一般客の受け入れ断念との方針が浮上し(参照)3月20日に正式決定する(参照)と、「無用の長物」「税金の無駄使い」との批判が一気に高まることになりました(参照)。
その結果、このオリパラアプリは契約済みであったにもかかわらず、5月31日に突如38億円と1/2以下に圧縮される契約に変更され、6月1日に発表された(参照)のですが、この時点でNECは顔認証機能の開発を終えていた(従って既に政府に対する費用請求権は発生している)と報じられていたことから、その不透明な契約変更の経緯が疑問視されていたところ、今回の報道になったものです。
まず、「徹底的に干す」「脅しておいた方がよい」という言葉が不適切であることは、平井氏本人や、自民党や維新の会の擁護者たちも認めており、この点に異論のある人はいないでしょう。
しかし、この言葉がどの程度不適切であるかについては、平井氏や自民党、維新の会の擁護者たちと、世の中一般の常識の間には大きな懸隔があるように思います。「徹底的に干す」「脅しておいた方がよい」は、世の中一般には言われただけで「その筋の人」を想起する相当に「ぎょっとする言葉」です。本当に親しい友人同士の酒席のように、全く気を使わなくていい場ならともかく、仮にも仕事の上司と部下の間でなされている会議という、多少なりとも相手に気を使わなければならない場で、使っていい言葉ではありません(恐らく平井大臣も、この言葉を自分のミニ集会や街頭演説で使う事はないでしょう)。
にもかかわらず、平井大臣が平然とこの言葉を使った理由は、想像にはなりますが、平井大臣にとって、この言葉の対象である民間業者と、言葉を発した相手である内閣官房の官僚達の双方が、「気を使う必要を全く感じない相手」だったからだとしか思えません。それは、民主主義政治家としては到底許容し難い、序列意識に満ちた人間観であると、私には思えます。
また、百歩譲って「徹底的に干す」「脅しておいた方がよい」という言葉のひどさそれ自体は「相応の事情の下に」、「内輪の席でなされた」ものだから問題視しないということがありうるとしても、この言葉が示している中身は、「大臣である自分の意に沿わない反応をした民間業者には、長期間にわたって一切仕事を発注しない」という「多大な不利益があることを相手の民間業者に伝えて恐怖させ、例え民間業者が抵抗しても、大臣である自分の意思を実現しろ」という、極めて強固な意図に基づいた、明確な指示です。
つまり使っている言葉がどうあろうが、平井大臣は「事業の発注権限を恣意的に用いて民間業者に不利益(若しくは利益)を与えることで、政権の意思を実現しろ」と部下に指示しているのです。
このような国の発注権限を濫用(らんよう)した恣意的行政は、「法に基づいた行政」という、法治国家にとっても最も重要な根幹を正面から否定するものであり、より本質的で、より大きな問題だと言えます。
さらに、平井大臣は「強い覚悟で臨まないと、国民の望む結果にならないからと。担当者も私の表現をそのまま、その相手に伝えるような方々では全くないので。極端な表現ぶりを受けて、強い覚悟で交渉なさったというふうに思います」(参照)と、あくまで指示を受けた官僚は適切に対応したから問題ないと弁明しています。しかし、この「徹底的に干す」「脅しておいた方がよい」の様な「極端な表現ぶり」の言葉で「強い覚悟で交渉」することを指示されるのは、指示される側から見ると極めて困惑する、率直に言って迷惑なものです。
知事を務めていた経験から申しますが、人事権を全面的に握る行政トップの言葉は重く、その行政機関の職員・官僚にとって絶大で、それをどうしても実現しなければならず、実現しなければ自分が多大な不利益を被りかねない至上命令と受け取ります。一方で、平井大臣に言われるまでもなく、通常の常識のある官僚であれば、公然と「徹底的に干す」「脅しておいた方がよい」などということをしたら、場合によっては法に抵触し、これもまた自らが多大な不利益を被りかねないことは分からないはずがないでしょう。
まっとうな職業倫理を持った官僚ほど、この様な指示を受けたら、一体全体どこまで「干し」「脅さ」なければならいのか、一体全体どの程度まで「干し」「脅す」ことが許されるのか、上司の指示と自らの良心の板挟みに苦しむことになります。
一方で、それを言った側の平井大臣は、「徹底的に干す」「脅しておいた方がよい」とは言いながら、具体的な指示はしていませんから、何か問題が生じても、自分は「極端な表現ぶり」をしてしまっただけで、責任は実際に判断をした官僚にあると言い逃れることが出来るのです。
つまり平井大臣の「極端な表現ぶり」の「徹底的に干す」「脅しておいた方がよい」は、
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